2013年6月9日日曜日

おやつ


最近は、おやつにお菓子を食べることが少なくなった。甘いものは、あまり食べないのがよいのだが、頂いたりすると、つい手が伸びる。でも、ゆで卵をいつも切らすことなく作っておくようになってからは、小腹が空いたときは、そちらをおやつ代りに食べている。何しろ、卵は、1日に3個以上食べることにしているので、そういうことになるのだ。()

最近の若い人たちは、舌が肥えているので、ケーキでもチョコレートでも、何でもというわけにはいかない。孫が以前、イギリスのお土産に、チョコを買ってきてくれたのだが、1粒が1000円以上もすると聞いて、口の中がマヒしてしまった。()

ケーキも、美味しいと評判のA店とB店でも、微妙に味が違うらしく、その違いは私にはよくは解らない。こうした傾向がいいことなのか、贅沢なのかは別として、ケーキ一つ買って帰るにも難しい時代となったものだ。

子どもの頃、住んでいた帯広に、今も全国的に有名なお菓子屋さんがあった。歩いて10分ほどの繁華街に、今ほど色々と種類があったわけではないが、それでもショーウインドーの中は、きらびやかな洋菓子や和菓子が並んでいた記憶がある。おでこをウインドーにぴたりとくっつけて、飽きることなく眺めたものだ。

そんなお菓子が、いつも食べられるわけではない。来客があるとき、ちょっとした和菓子を用意する。そのおこぼれを頂くのが精いっぱいだった。普段は、駄菓子屋の飴玉やキャラメルとか、お煎餅。ときには、籤を引いて、その当たりの大小のノシイカとか。そして季節によっては、美味しいとうきび、カボチャだった。今思い出すと、それは全てが美味だった。今となっては、思い出に懐かしさという味付けがされているのだろうが、当時の子どもの舌には、ほんとに美味しいおやつだった。

私は、亡くなった作家、向田邦子さんと、良く似た時代を生きてきたのだが、彼女の書く随筆の中に出てくるような上品な家の子でなかったので、5銭や10銭を握って駄菓子屋で買い食いをして大きくなった。向田さんは、そんなことがしたくてたまらなかったらしいが、そんなことはさせてはもらえず、家で用意されたおやつを家の中で、お行儀よく頂いた方である。

私の、父母、祖父母は、甘い美味しいお菓子のおやつなど、食べて大きくなってはいない。干したソラマメの炒ったものとか、桑の実、へぎ餅を切って炒った、あられがおやつだったろう。ういろう、おはぎ、お団子は、普段は食べられず、何かのモンビに家で手作りして食べたものである。そんな田舎出の祖父母や父母に育てられた私だ。町で住んでいたおかげで、ちょっとは口にしたものの、決して贅沢などしていない。

そのお蔭だろう。口は肥えることなく、何でも美味しく頂ける、という人間になっている。

2 件のコメント:

  1. 農家で8人兄弟の下から3番目。お小遣いなんて、お寺の縁日以外貰った事ありません。おやつはすべて自家製。おへぎにあられ。茹で干しに干し柿、おちらし、琉球芋(サツマイモの事)

    果物はいろいろ植えていました。蜜柑に桃、枇杷、李類色々、イチジク、ザクロ、大抵何か食べられるものがありました。

    でもね。私は父を尊敬しています。8人もの子供をよくぞ飢えさせずに育ててくれたと。今の親は2人の子供にアップアップしていますもの。

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    1. 子育ての意味合いがかわってきましたものね。昔は、子どもは親の手助けのためにうまれてきたような子も大勢いたものです。


      今は贅沢させながら教育もさせるのですから、多くは産めない。お国は少子化で大変です。

      私は5人。5人の兄弟は普通でしたものね。皆、喧嘩したり助け合ったりしながら、逞しく成長していったのですが……。

      どちらがいいのでしょうかねぇ。

      なんていっても、私たちの世代から、もう5人も8人も子育てせよと言われても出来なかったよね。いくらお国のためと言われたって。(笑)

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