2013年9月28日土曜日

帯広


昨夜、狩勝峠を書いた後、お風呂に入りながら、気になることがあった。記憶があいまいなところがあったものだから、古い写真やら、旅行の記録などをみてみたのだが、やはり間違っていた。分かっていたのは、近所で親しくしていたKさんのことだけ。小学校の恩師や同級生だった親友のことは、全く分からぬままに行っている。訂正がしたかったのは、尻切れトンボの続きを書きたかったものだから、ちょっと訂正させていただいた次第。

 
狩勝峠からの壮大な景色が見られなかったのは、とても残念なことだったが、目的は他にもたくさんあった。親しくしていた近所の梅子おばさんや、Yさん宅を訪問すること、まだご健在と思われる恩師N先生とA先生の消息を調べ、是非お会いすること。親友だった同級生のMちゃんとYちゃんの消息などなどである。

汽車は、そんな私の願いを載せて、やっと夕闇せまる帯広駅に到着した。胸がいっぱいになって、昔と同じような古びたホームに立つと、泣けてしまった。【お帰りなさい】と、言ってくれたような気分になっていた。

駅のグランドホテルを予約してあったが、荷物を持ったまま、我が家のあった方面に歩きだしていた。駅からは近い。

5分ほどで着いた。大通り11丁目18番地。我が家とその両隣りは、跡かたも無く、3階建のビルになっていた。その5軒ほど先に、梅子さん宅の酒屋の看板が見える。我が家の斜め向かいには、Yさん宅の昔と同じ馬具商店の看板が。

子どもの頃は、道幅の広い大通りなので、お向かいの家は、ひどく離れていたように思ったし、歩道も広くて、どんな遊びも出来たものだから、あらためて見て、「あれっ?もっと道幅が広かったように思うが……」なんて、子ども目線と大人目線の違いを感じたりする。

浦島太郎のようでもあり、思った通りの風景でもあり、複雑な気持ちのまま、そのあたりを一巡してホテルに入った。

ホテルから、Kさん宅に電話をして、梅子おばさんを驚かした。おばさんは、電話口で泣いて喜んでくださった。母と同じトシだが、お元気そうでなによりだった。

梅子さんは、母と親友である。母の両親は、結婚して徳島から帯広に出てきて、帯広で母を産んでいる。梅子さんとは、女学校時代からの親友で、偶然、母の家の近くに嫁入りしてきたのだ。住所が変わっていないので、手紙のやりとりは続いていた。梅子さんの子であるK子ちゃんは、妹の同級生で、私たちの幼馴染なのだ。私の実家に遊びにきたこともある。

明日おじゃますることを約束して、やっと落ち着いた。

 

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