2014年1月8日水曜日

仕上げのとき


大作の絵画の、あと何%かを残すまでを描きあげてくると、今更描く手法を変えたり、絵具を変えたりすることは出来ないのが当たり前だが、人生という絵巻物も、人生の8分、9分どおり片付けてきた高齢者にとっては、残りの仕上げは、やはり失敗作にはしたくない、という思いがある。

ところが世知辛いもので、思うようにはならぬのが人生絵巻。

Aさんは、お金の亡者のようになってきたし、Bさんは家族のお荷物になってしまっている。

ところが、そうなった原因がないでもないことに気づく。Aさんは、昔から、人を評価する物差しを経済力とか、家の大きさとかそういったものに、おいていたように思う。

Bさんは、日常生活は自分中心で、他人の意見を聞く耳は持たず、医者に止められていることも守らず、好きほうだいの暮らしぶりをしていた。「一度きりの人生、命が短くても、好きにするのがいい」ということだった。

ところが、体重は増えすぎるし、足腰は立たなくなるし、頭のほうはおかしくなるしで、家族はその世話に困っている。痴ほうになっても、我儘は、治らないのだ。痴ほうになったからといって、急に、謙虚になったり、素直になったり、有難うなどのお礼が言えたりは出来ないのだ。それまでの暮らしが土台にあるのだ。言うなれば、可愛げのない年寄りになってしまうのだ。

「ああはなりたくない」と、まわりの人が思ってしまうようなことになるのは、やはり常日頃からの心がけもよくなかったのだ。認知症になるのは仕方がない。病気になるのも仕方がない。でも、家族や身内に世話にならずに死ぬことはだれも出来ないのだ。どんなになっても、「有難う」「お世話になります」「すみませんねえ」と言える、可愛いらしく年をとることが大切と、思っている。

2 件のコメント:

  1. 人は生きたようにしか死ねないと言います。いい生き方をしなければと思うのですが、それも思うばかり・・・自分なりの生き方しか出来ません。

    認知症になっても性格は残るそうですね。どちらにしても、死ぬ時は家族のお世話になるようです。いい家族を持った人は何よりも幸せですから、有難うは当然いうべき言葉ですね。

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    1. 認知症というのは、まったく何も分からなくなるのではありませんから、性格は、より強調されたりすることがあるのでしょうね。
      それとメッキがはげたりして。(笑)
      ま、どうなってもしかたありませんけどね。

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