2012年3月31日土曜日

倚りかからず

自分では「やってみたい」とか、「作ってみたい」と思っているのに出来ないことはたくさんあります。その一つが詩を書くこと。
私の不得手なことをなさっている方を羨ましく思ったり、尊敬したりするのは当たり前のことですが、その中の一人が、詩人『茨城のり子』さんです。

彼女の書かれた詩集『倚りかからず』は、1999年秋に出版されているのですが、何度読んでも背すじがピンとしてくるような、とても気持ちがシャンとしてくるのです。
本のタイトルになった詩をご紹介します。(ご存じの方も大勢いらっしゃると思いますが)

   もはや
   できあいの思想には倚りかかりたくない
   もはや
   できあいの宗教には倚りかかりたくない
   もはや
   できあいの学問には倚りかかりたくない
   もはや
   いかなる権威にも倚りかかりたくない
   ながく生きて
   心底学んだのはそれぐらい
   じぶんの耳目
   じぶんの二本足のみで立っていて
   なに不都合のことあるや
   倚りかかるとすれば
   それは
   椅子の背もたれだけ

易しい言葉なのでよく解ります。ですからなおのこと圧倒されるのでしょう。
彼女のリンとした声まで聞こえてくるようです。
倚りかかった生活をしている自分の足元を見つめさせられます。
自分の生き方を反省させられます。

現代詩は、難解なものが多くて、手がとどかないものが多くありますが、こんな詩に出会いますと、『詩っていいなあ……』と、心の洗濯をしたような気分になって、元気もいただけます。

あ、こんな詩もあります。

『笑う能力』
「先生お元気ですか
我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
手紙を受け取った教授は
柿の書き間違いと気付くまで何秒くらいかかったか
                    略
 
ふふふっ。私の書いた「ニキビ」(3月13日)より、ずっとマシな手紙だと思いませんか?



4 件のコメント:

  1. 中古女お六……タイトルを見て、古女さんと握手したくなりました。
    この本は、藤井先生に勧められて読み、感動した本です。何かに倚りかからずにはいられない人間の弱さを痛感すると共に、背筋を伸ばして自立しなければという気持ちにさせてくれた本です。

     「疎開児童も」「鶴」など15編の詩の中で、私も「笑う能力」という作品が好きでした。

     人生イロイロありますが、私は自分に「笑う能力」が「泣く能力」より多く与えられていることに感謝しています。
    うっふふっふっふ。へへへ。あははは。

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    1. お六さんのコメントが、私のメールには、入ってくるのですが、この画面には、どうしたわけか、表示されないので、私から、代りに投稿させていただきました。

      投稿していただいたものは、総て私のメールにはいってきます。それを観て、ブログを開いて返信をかかせていただいております。今までにも、メールがきていても、公開されていないコメントが幾つかございましたが、私方には、とどいておりましたのてあ゛、お知らせしておきます。

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  2. ほんと、寄り掛からずに生きて行ければいいですね。でも、足が弱くなり、背骨ぐんにゃりになり、誰かに寄りかからずには、生きて行けない年になれば、そうも言っていられませんね。

    その時には思いつきの詩でも作って自分でな自分を慰めることにしましょう。

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    1. mimiさんは、精神的には、いつも倚りかかってはいないように思いますよ。
      mimiさんの倚りかかっているのは、椅子の背もたれと同じようなものだわよ、多分。

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