2013年12月15日日曜日

いじめ


学校でのいじめが問題になっていますが、ことし3月までの一年間に、全国の小中学校と高校でのいじめの件数が、発表されています。文部科学省の調査でわかったのが、19万8千件あまりということで、調査開始以来最も多かったということです。

これは、いじめそのものが増えたというより、学校が確認した件数が増えたということで、以前の大津の中学生がいじめを苦に自殺したことが社会問題になったのを受けて、当時の文部科学大臣が「いじめの問題を学校で抱え込まずに報告するように」求めたことをきっかけに学校にとどまっていたいじめが報告されるようになったものとみられています。

振り返ってみますと、いじめは、昔からありました。

当時、国民学校と言っていましたが、5年生のとき、何かのきっかけで、A子さんが、B子さんに、ひどく意地悪をしはじめたのです。ちょうど私の前の席に、A子さんとB子さんが並んで座っていいたので、私には、いじめているのが、よく解りました。Bさんが、可哀想に思いながらも、何も言えなかったことを思い出しています。
でも、1か月くらいたったとき、二人は仲直りしていました。今の子ども達のように、何人もで一人を虐めるようなことはなかったし、仲直りも出来ていたように思います。

そういえば女学生のときは、ちょっとしたいじめに遭いました。転校して美馬高女に通学していました。近くの一級下のK子さんとふたりが、いつもさそいあっていっしょに通っていました。
吉野川の北地には女学校がなく、渡し船で川を渡っての通学でした。一緒の渡船を渡る女学生は、美馬高女の生徒と、名西高女の生徒がおりました。学校に格差があったかどうかは分かりませんが、前を歩いている私等に、いつも後ろから、45人かたまっている名西組のMさんが「美馬の学校アホ学校」と、節をつけて、歌うように叫ぶのです。(笑)
私の連れのKちゃんは、「あんなアホのおる学校こそアホ学校やな。相手にせんとこな」といいながらも、すごくハラをたてていたようです。

そして一年後、川北の女学生が、新しく出来た阿波高等女学校の4年生になったのです。むろん、ひとクラスしかありませんから、虐めた子も、いじめられた私も、同じクラスとなりました。
しばらくは、Mさんとは、口をきいていませんでしたが、ある日、「ゴマメちゃん、これ食べたことあるで?」とかなんとか声をかけてきました。(笑)私は、何事もなかったように答え、それからは、普通にお付き合いしています。Mちゃんは、特別な子でも意地悪な子でもありません。(Kちゃんは、よほど悔しかったのか、今も「あの子だけはゆるせない」と言ってますが。(笑)

……といったように、私達の子ども時代のいじめは、死ぬの生きるのというようなものではなかったように記憶しています。
今と昔、どこがどう違うのか、よくは分かりませんが、多分、子ども時代の過ごし方や、遊び方の違いではないかとも思うのですが……、どちらにしましても、子どもの自殺だけは、胸が痛みます。何とかくい止めていただきたいものです。

2 件のコメント:

  1. ずーっと前から、いじめはあったんでしょうね。差別もあったしいじめもあった。でも、子供が自殺するようなことはなかったと思います。子供は手加減という事を知らないので、ある場合とても、残酷になると思います。

    他人の痛みを想像できる子供に育てるのは、やはり家庭の責任ではないでしょうか。今の日本は家庭の立て直しから始めることが必要かも知れませんね。老人問題にしても、子供の問題にしても・・・・

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    1. 家庭の立て直しは難しいでしょうね。

      今頃の若い人たちの中でも、けっこ、大家族の中で、年寄りなどが、折に触れて注意したり、教えたりすることが、身についている人もいますね。

      核家族で育った若い親に育てられた子は、親としての教育が出来ない場合があるようですね。
       他人の痛みが分かることなど、たいして難しいことではないのですがねえ。

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