カーテン開けると雪だった。音もなく降るものだから驚かされる。庭木には、まだら模様に白い点。綿帽子のようなカンムリを載せた小さな紫陽花。おそるおそる窓を開ける。寒くはない。雨と違って、雪の降る景色はちょっぴり暖かい気分にするものがある。
でも、すぐに消えてしまいそうだ。ちょっと「真冬ですよ」と、ご挨拶ていどの雪のお出ましだ。
案の定、朝食の準備を終えるころには、雪の姿は消えていた。風が強く吹いている。ぐっと寒くなった。日は眩くて照ってはいても、【旅人のマント】を脱がすことはできそうにない。
指を折って数えてみた。あと4回の夜を過ごすと新年だ。昔流の数え年でいうと、私は84歳が終わろうとしている。とっくの昔に、平均寿命過ぎているはず。ま、今は、平均寿命の延長で、まだ先になるが、それでも人生の底板が見えている。そうなると、何となく、老いを跳ね除けて、心豊かに楽しく元気に過ごしたい、という思いが強くなってくるものだ。やはり平凡な者は、【長さより質】なんて言いながらも、長生きしたいものなんだ。(笑)
「年を寄せるって、マイナスがほとんどの世界。いいことなんか一つもない」とぼやいている方がおられるが、こんな考えをいつも抱え込んでいては、老後はつまらないものになるだろう。やはり、『老い』と、仲良く付き合っていくことこそが大切だろう。
「毎日がとても幸せだわ。若い時の苦労のおかげだわ」と、いつもありがたがっている方がおられるが、特にいい暮らしをしているわけではない。足腰が痛いので医者通いもしておられるし、贅沢の出来るほど、年金があるわけでもない。でも満足しておられるし前向きだ。こうした生き方は、【味のいい暮らし方】というのだろう。
こういう方は、最近は大勢いらっしゃるようだ。年齢の壁は、至る所でほころびて、もう「年がいもない」とか、「いい年をして」などということばは聞かれなくなってきた。死語に近くなっている。服装なども、娘の洋服を着ていても、そんなに違和感がないし、むしろ、どんどんと若い人たちを真似ていく傾向がある。間違いなく、気が若くなってきたのだ。いいことだと思う。その気になれば、新しいことを学ぶこともできるし、成長していくこともできるのだから……。
その命綱である食べ物と運動、休養に気を付けながら、一日一日を、味のいい暮らしをしていくことができれば、若い時には味わえなかった幸せがあると思っている。
来年も、そうした気持ちのまま、歩めたらいいと願っています。
今年1年、ごまめさんの元気で楽しい文章を読ませていただいて幸せでした。有難うございます。私も昔流に言うなら87歳。今流ならあと1か月で86歳。人生の底板は充分見えて来ました。
返信削除もう、新しい事に挑戦する余裕はなさそうですが、今まで続けて来た事は投げ出さないで置きたいと思います。
今日は今年最後のディケアでしたが、5時間ほど、リハビリしたり、体操したり、薬湯に入ったりですっかり疲れました。明日は元気に新年を迎えたいです。
ごまめさんも、どうぞいいお年を・・・