2012年7月19日木曜日

恩師 その2


昨日に続いて、高学年でお世話になった中田先生の思い出を書いておきます。

話が後先になってしまいますが、始めて私が北海道の故郷を離れたのは、14歳の夏でした。親戚の一軒とてない北海道は、戦中、戦後を通じて遠い異国のようなものでした。戦後のどさくさ、インフレ、長かった貧乏暇なし時代……。親しかった友達との音信も途絶えたままです。それでも私の望郷の思いは膨らむばかりでした。親しくして頂いたご近所のおばちゃん。母と親友だった梅子おばちゃん。その子と毎日遊んだ思い出。どうしているのか……。そして先生は……。

やっと念願がかなって故郷の土に立ったのは、教職について20数年も過ぎたある年の夏休みでした。仙台に出張した折の帰りに回り道をして北海道に足をのばしました。それも、夫がぜひ行って来いと後押ししてくれたので思い切ることが出来ました。

夕方、帯広の駅に降り立ちますと、ホームは昔のまま。20数年という歳月が長かったという思いが一瞬消えました。でも、本当は長い年月でした。長年の思いが叶った嬉しさと懐かしさで、涙が流れるのを抑えきれませんでした。

先生はむろんご退職なさっていたのですが、私の通った柏小学校へ行って、その消息を確かめたところ、中田先生と、相沢先生のご住所がわかったのです。
中田先生は、帯広に住まわれていらっしゃったので、さっそくお電話をしますと、昔と変わらぬ先生のお声が耳に飛び込んできたのです。

先生は、まるで小学生に説明するような口調で、お家までの道順や乗り物を、教えてくださいました。多分、先生の頭には、遠い昔のおかっぱ頭の私が頭に浮かんでいらしたにちがいありません。せっかちな私には嬉しいことに、「すぐおいで」とおっしゃってくださいました。

 

さっそく先生に教わったとおり、バスに乗って前方を見つめていますと、やがて見覚えのある先生のお顔が、バスのフロントガラスに写ってきたのです。その瞬間から私は小学生になった気分でした。


バスを降りて、ご挨拶をはじめましたが、先生は、そんなことより早く家においでと言わぬばかりに、すたこら歩きはじめるのです。ちょっと背をまるめるような、そして手を後ろに勢いよく振る格好が、また何と懐かしいこと。昔とちっともお変わりではないのですから‥‥。


退職後の先生は、専門の数学を研究なさる傍ら、覆面算とか、虫くい算とか、ルービックの面の模様作りとかいった、パズルなどに凝られて、実に楽しい毎日を過ごされていらっしゃいました。旅行をする暇もないというほどの力の入れようで、びっくりさせられてしまいました。私は秘かに、数教(数狂)先生とあだ名をつけました。

 

先生の思い出といえば、先生のお宅に、何人もが泊りに押しかけて行ったこと。授業中よく笑わせてくださって、授業がとても楽しかったこと。先生はネクタイを毎日変えてくるので、三百六十五本持ってるな‥‥と思ったこと。毎日学校が終わって帰る前に、続きもののお話を聞かせていただいたこと。などなど数えきれません。お話は、わくわくしながら、続きを聞きました。


続きものお話が、先生の創作童話と分かったのは、夏休みが終わって二学期が始まった時でした。お話の続きをお願いしますと、先生は、それまでの話を忘れていらっしゃって、私たちにあらましの筋を尋ねられました。(この連続童話は、先生の作ったお話か‥‥。先生はこんな面白いお話まで作れるのか‥‥)と、あらためて尊敬の念を強くしたのをおぼえています。
そんなお話をしますと、「そんなこともあったなあ。話の続きを毎日せがまれて、その場で思いつくまましゃべったから、何日も休みが続くと、話のすじが分からなくなった」と笑っていらっしゃる。お話が完結すると、次のお話をせがんだものです。先生も大変だったことでしょう。(笑)


私は退職後、再び帯広をたずねて、先生と奥様にお世話をおかけしたのですが、そのときも、ユーモアたっぷりのお話ぶりに、またまた昔を思い出しました。若者顔負けの勉強ぶりには驚きもものきで、再び先生を仰ぎみると同時に、お尻を叩かれた次第でした。


先生、今頃はきっとあちらでも、皆さんに数の面白い組み合わせ等をご披露なさっていらっしゃると、想像しています。








2 件のコメント:

  1. ごまめさんのような生徒を持って先生は、お幸せでしたね。私の小学校の先生で、ご健在なのは、お一人だけ。私と同じように施設でお暮らしです。

    でも、私は卒業以来お訪ねもしていない不詳の生徒です。同窓会は男子が企画してくれて、私も2,3回出席しましたが、先生はお呼びしていないようでした。その同窓会も絶えて久しいです。

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    1. 子どもは純情ですから、いい先生にめぐり合うと、忘れられないけど、大きくなってからの先生というのは、不満もありますから、子どもの頃のような思いは、あまりありませんね。
      私の息子は、小学校456と3年間もウマの合わない先生に担任されて、可哀想でした。子どもながら、先生を尊敬出来ないのは、ほんとに気の毒です。

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