2012年7月25日水曜日

『生きて死ぬ知恵』という本


『柳沢桂子著 生きて死ぬ知恵』という本があります。もともとは科学者であった柳沢さんが、大病を患って36年間苦しみ、科学の限界を知らされます。

彼女は、宗教にのめりこんでいきます。そして、般若心経を科学的解釈で、美しい、易しい現代語に訳しました。
ある時、NHKの教育テレビ、「心の時代」で、柳沢さんの著書や生き方を放映し、大反響でしたので、ご存じの方も多いと思います。



私は、その放送を観て、とても感動しました。宗教には、まったく無縁の私ですが、そのときの放送内容を(録音したもの)何度も聞き返しました。本は、わずか50頁ほどのものですが、その放送の中にも詳しく紹介されています。



「死」という問題が、大きく圧し掛かってきたこのごろ、この本は、とても心を軽くしてくれました。
「宇宙の全てのものは、粒子で出来ていて一枚の布のようなもの」という考え。それは、すべては同じ無・空という考えで、だれにも避けられない「死」を安らかに受け入れられる基本的な考えだろうと思います。

これまで私は、「宇宙は一つ、全ては水である」という哲学のようなものを心にいだいていたのですが、似たようなものとは思いますが、こちらに切り替えました。より科学的です。(笑)

無・空に近づくための、「自我を捨てること」は、凡人にはとても難しいこと。命はみんなのもの、というところくらいまでは、考えられることであっても、「あらゆるものを削り取る」ことが難しいのです。


病気でだれかに同情されてイヤな気分を味わった柳沢さんが、自我を捨て切れていない自分に気づいて、「私がいなかったら、こんないやな思いはしなかっただろう」という思いで、はっと目の前が光り輝いたという柳沢さんのことばに、私も目のうろこが落ちた思いでした。

永遠の命に目覚めている人たちは、苦の中で幸せに生きることが出来る、夜が明けることだけでも幸せになれる、ということは、そんなに難しい学問をしなくても、できるようにも思います。
決して「永遠の命に目覚めた」などということはこの世のうちには言えないと思いますが、近づくことは、出来るかもしれません。



無常の中で生活しながら楽園で生きられる、自我を削って生きさえすれば、幸せになれる、という柳沢さんの考えは、宗教を、そんなに難しく考えないで、折々に自分たちの生活の中に、反映していく、ということでもあるようです。

そして最後にのべられた、「神の領域にまで手を伸ばそうとする科学に疑問、人間として、してはいけないこと、自然に対して、畏敬の念を持つこと、自然の偉大さをもっと認識すべき、生き物としての限界を知るべきだ、というお考えに、大きくうなづきました。



柳澤さんは、すでに悟りの境地に立たれているように思いました。悟りとはこういうものなのかなあとも感じさせてくれました。

自我を捨てることは、口では言う事が出来ても、凡人の私らには、なかなか出来ることではありません。

これからの私は、どれくらい自我(エゴと言い変えてもいいと思いますが)と格闘し削り落とせるかしら、と考えますと、頭を垂れるしかありませんが……。



(実はこの本の絵を担当しているのが、このブログの615日『堀文子と言う画家』でも書きました堀文子さんです)




2 件のコメント:

  1. 昔、病気で寝ている時に心の時代を楽しみに見ていました。心が癒されました。若い時に、生きるか死ぬかの病気をしました。お金を貯めて家を建てるのに一生懸命でした。ところが、お金が貯まると病気になるんです。その時、実家の母や兄を支援することに躊躇っていたのです。思い切って支援を受け入れることにしました。無になることは大変勇気が要りますね。でも助けることによって助けられる、入ってくることに気が付きました。

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    1. kyamiさん、いろいろと体験なさっていますね。
      私は、大病というものをしていないのですが、生死観が変わるというか、そうした体験から得るものは、大きいですよね。

      お元気になられた喜びも、また、素晴らしい体験ですね。

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