2012年7月10日火曜日

世界平和


この地球上で、戦争のなかった時代はあったのだろうか。いかにも人間は戦うことのすきな生物のようだ。


子どもの頃、父に召集令状がきた。
支那事変に駆り出されたのだ。

今は、『支那』ということばは『支那そば』の看板くらいしか使われていないためか、PCでは『支那』という単語は出てこない。
でも、支那事変と書かねば実感がわいてこないので、あえて支那という言葉を使うことにしている。


召集令状を受け取ったときの母の顔は、今でも忘れられないほど、子ども心に焼き付いていて、何となく大人の本心と建前のようなもののあることを体験したように思う。

時代が違っても、戦いの方法が違っても、戦場の兵士の家族の思いは同じだろう。


戦争体験者がだんだんと少なくなってきたのだが、戦争の悲惨さや、苦しみは、体験者でなければ本当のところは解からないと思う。

戦争だけは絶対にしてはならない、という思いは、戦争体験者には、骨の髄までしみ込んでいる。


先日、友人からメールが転送されてきた。この方は、私と違って、昔からある信念を持たれている方で、原発反対や平和運動に参加されているのだが、『原子力基本法改正案に軍事目的を追加した』と言う、ものものしいタイトルなのだ。

「なし崩しに、原発容認核をもつ国核武装にすすめようとする企みは許せません。会期末を迎えて、参議院でも、みんなが気づかないうちに通してしまおうという策謀は絶対阻止すべきです」と、鼻息の荒いものだ。


私には、よく解らないのだが、こういうことには、敏感に反応している方たちにとっては、単純に、「平和利用」と聞けば文字通りの受け止め方しかできない私と違って、その裏の裏までの企みを想像するのだろう。


私個人の意見としては、再軍備などということは困ることなのだが、自衛ということは、ゴロツキやヤクザのような国に囲まれている独立国としては必要なことと思うようになってきた。もしもの時に、自衛が出来ないようでは、独立国とは言えないと思うからだ。アメリカに助けてもらうということは、もうアメリカの植民地か占領国でしかない。


だから、自衛隊が憲法違反といったことであるなら、自衛隊の必要性は感じているものだから、何とか違憲でないような憲法改正は必要かと思っている。

これも、「『まったくの丸腰で平和主義を貫く国』で押し通す国には、侵略など出来る筈がない」という現実を無視した理想論は、机上の空論に近いと思うからだ。

でも、核武装は困る。核で核を抑制ということには、賛成はできない。今や大国はそうした現状ではあるが、愚かなことだと思う。


愚かといえば、戦争ほど愚かな行為はない。
お金を遣い、軍備を拡大し、人殺しをする。こんな愚かなことがあるだろうか。

おまけに戦いの為の軍需産業で大金を儲ける人達。そうした人たちが、あちらこちらに、戦争の火種を埋め込んでいる、ということまで言われているのだ。
もし、そんなことが赦されているとすれば、この世はとんでもない世界である。


人類を愛し、自然を愛し、額に汗を流して働く善良な人達がほとんどのこの世界に、たった一握りの悪人の金儲けの為に、多くの人達が不幸になっているとすれば、神も仏もおゆるしにはならないだろう。

人間は、本当に愚かな生き物なのだろうか?

全ての国が、丸腰という世界平和の日は、遠いのだろうか……。




6 件のコメント:

  1. ごまめさん戦争は嫌ですね、戦争に行った人は尚更ですが、行けなかった人も肩身の狭い思いをしたようです。私の父は結核に罹り家で寝ていました。母が言うには、同僚が戦争に行ってるのに病院などには行けないと言って入院もせず、ストマイの注射液もない時代です。食べるものもない日々を送りながらお国のためになれなかったことを悔み、終戦後3年して亡くなりました。昔の人は愛国心に徹していたのですね。戦災にあい、今までの生活が一変しました。その時のことを思うと(私は小学生)、戦争は絶対いけない!

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    1. 愛国心は、幼稚園からうえつけられますからね。お国の為に死ぬことをいやがったりしたら、国賊。思ってもくちには出せない時代ですからね。
      平和ほどいいものはありません。

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  2. 戦争が好きな人はないと思います。私も戦時中の事を思い出すとゾーとします。空襲で亡くなった人なんかほんとに惨めでしたよ。

    では、あの時、日本はどうしたらよかったんでしょうね。戦争に至る過程は私もよく知らないのですが(誰もはっきりと教えてくれません)訳もなく戦争を起こしてしまったんじゃないでしょう。領土を拡げようとしていたのは、どこの国も一緒ですね。日本は欲が過ぎたんでしょうか。

    相手の国の欲望の前に小さくなっておればよかったんでしょうか。そうであれば、今も同じ。どこかの国を刺激するような事をしてはいけませんね。ひたすらに、相手の言うことを聞いて従順に暮らしましょう。生活程度が落ちるくらいなんですか。

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    1. 私たちには、何もわからなかったのですが、当時も、戦争反対の声はあったのでしょうね。でも、それは、国賊という犯罪者扱いで、自由には反対活動などできなかったのでしょうから、どうしようもなかったのでしょう。独裁政治の恐ろしさですね。
      弱いものがソンをするのは、いつの時代も同じかも。

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  3. そうでしょうか。反戦=国賊、となったのは戦争が始まってからですよ。戦争前は国賊なんて軽々しくは言わなかったと思います。それに、日本は独裁国家でもなかった。確かに天皇は絶対でしたけど、選挙もあったし、議会もありました。推薦候補なんてものが現れたのは戦争が始まってからだと思います。推薦候補でない人が当選もしております。例えば、「三木武雄」など。

    今、自衛が必要なら、武力を背景にした強い外交でなければ相手にされないでしょう。初めから絶対に戦争しない自衛隊なんて無意味ですよね。

    戦争は不幸という事を前提にしております。私には孫も曾孫もおります。戦争で死なせたくはないですが・・・

    思い違いがありましたら御免なさい。

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    1. 私たちが国賊等と使いはじめたのは戦争がはじまってのことですね。地下にもぐった左翼思想者を検挙したり、兵役をにげていたりすると、軍法会議にかけられていた時代です。

      しかし、戦争がはじまるまでのことも、やはり偉い人達の間でも、反対派はあったのでしょうが、強くなってきた軍部には、かなわなかったのでしょうね。戦争に反対した人達は、軍人にひどい目にあったりしていますからね。色々と事件もありましたから。
      どこの国も、鉄砲握ってる人達が強くなっていくのでしょうかねえ。

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