2012年7月16日月曜日

中庸と中くらい


【中庸】というのは、考え方や行動が一つの立場に偏らず、極端に走らない、ということで、私の好きな言葉でもある。『中くらい』、ということばと並べられているのだが、中くらいともちょっと違う。中くらいというと、ほどほど、中ほど、ということとも混同されてしまうことがあるが、それはまたべつである。
ほどほどとか中ほどということは、私もよくしてきたことなのだが、モノによっては無責任とも繋がることがあるので褒めたことではない。


偏らずとかバランスよく、ということは、私の心がけの中の一つでもある。が、難しいことでもある。


ある方は言う。「何でも中がええんよ。何でも中を選んどったら、間違いないわ」と。

何でもというのは、例えばうなぎ屋でのうな重の注文も、松竹梅と序列があるものは竹を注文するということか?

あるいは多くの人が選ぶものはどの品かを確かめて、大勢の人の買っている物を選ぶ、ということであろうか。

「じゃあ、生活は?」と聞くと、「国民の平均貯蓄額を持っている……というようなことではなくて、大富豪などを平均の中に入れ込んではダメ。中流と思っている人たちは、本当の意味では、下流の中の中流なんだから」とおっしゃる。その人の節によると、本当の上流中流はほんの一握りの人が、たくさんの富を握っているのだそうだ。

言われてみればその通りである。以前【世界がもし100人の村だったら】という本を読んだのでよく解る。富のところを開くと、『世界の全ての富のうち、6人が59を持っていて、皆アメリカ合衆国の人である。74人が39を分けていて、20人がたったの2を分け合っている』と書かれている。日本の国だけのことを考えてみても、大なり小なりそうした傾向はあるはずだ。上層中層といわれているお金持ちが、日本の全財産の60%を、6%の人だけで持っているとも思えないが、、中流とはまあまあの生活者ということになろうか。

そういうことなら、私めは、たまに頂くうな重など、いつもの梅で十分すぎるのだ。
マーケットのうなぎでもいいのだ。うなぎ屋のうな重などに、手の届かぬ人は大勢いるのだから。


そのあとの会話は次のとおり。

「でも、連れ合いさんは中じゃなく上を掴んだわね」

「上を掴んだと思ったけれど、中だったわ。そのうち中の下になりそうだわ」


4 件のコメント:

  1. ごまめさん、私は「ほどほど」にしといたら良いと耳ににしてきました。でも物事によるんですよね、困っている人を見て真剣に手を差し伸べてしまう、相手はこの子に頼めば何でもしてくれると取る。お料理であれば、もったいないから中にしようとなりますけどね・・・何でもよく見極めてからが大事ですね。でも鰻重やお寿司だったら特上にしま~す(笑)

    返信削除
    返信
    1. kyamiさんは、お口が肥えていらっしゃるので、得上なんでしょうね。
      私は、勿体ないので梅。(笑) 梅でも十分美味しい。口が肥えていないのもあります。(^^::

      削除
  2. パソコンの接続がトラブって長いこと失礼しました。

    中庸ってほんとに難しいですね。自分はそのつもりでいても実はそうでなかったりする、と思うんですよ。養老猛の「バカの壁」と言う本をリハビリセンターで、借りてきました。気軽に借りたのですがなかなか難しい本でした。

    その中にあったのですが、人間は自分が、こうと思うと、その思いに反したことは、現実に明らかに見えていても、脳が受け付けないそうです。見えず聞こえずの状態になるそうです。私なんか思い込みが激しいですから、たぶん見る目を持たず、の状態になっていると思います。

    返信削除
    返信
    1. 「バカの壁」は、私の本棚にもありますし、ところどころ、鉛筆でラインがしかれているので、読んでいるのでしょう。でも、ほとんど忘れています。そういうことも書いてあったのですね。

      大学のセンセの書く本は、読みにくい。脳があまり受付けたくない文章です。(笑)

      削除