2012年7月13日金曜日

梅ちゃん先生


朝ドラは、大抵BSで7時半からの放送を観ています。

あの時代は、戦後の厳しい世の中だったので、お医者さんになるのも大変だったように思います。今のように、だれもが大学に行ける時代ではなかったし、第一、戦時中は、ろくに勉強していなかったのですから大変です。医者になるつもりで医学専門学校を卒業しても、国家試験が受からずに、医者になれなかった人もかなりいたように聞きました。


戦後、私がまだ学生だった頃、お隣の奥さんが、「私の里の近所に【おなべさん】というあだ名の青年がいるんよ。医専を出たけど、国家試験が受からないので、奥さんが勤めに出た後、毎日井戸端でお鍋の底を丁寧に磨いているもんだから、近所の人がそういうアダ名つけたんだって」と、笑っていたのを思い出しました。(炊事は当時はガスもなく、竈で薪を燃やしていましたから、お鍋やお釜の底は、真っ黒になるのです)
いつの時代も、負け組はいたようです。


たくさんの大学が出来た今では、少々違いも出て来たようです。
ある方が書いていたのですが、医者になるためには、それなりの頭と努力が必要だが、どちらも不足していても、お金があれば何とかなれるのも医者であるというのです。
私立の医大に札束を抱えて、裏口からもぐりこむのです。

それなりに何とかなるというのは、医師免許の問題というのは、毎年同じような問題が出題されるそうで、90%の方が合格してきたらしく、落ちる10%というのは、箸にも棒にも掛からない、ま、いうなれば、医者にはどうしても無理な人らしいとか。


こんな話が、本当かどうかは分かりませんが、一旦手に入れた免許は、余程のことがなければ取り上げられることはありません。

だからこそ、医者の資質は、私たちにとってみますと、大切なことと思わざるをえません。
梅ちゃん先生のように、他人の傷みや苦しみに想像力が働くことは医者にも欠かせないものでしょう。
はたして札束卒業医師に、そのような情は芽生えているのでしょうか。


また、反面、親の経済力の差で、生じる教育の格差は、大きな問題です。医者に限ったことではありませんが、優秀でありながら、思うような進学が出来ない生徒を救うことは、大きな課題です。

このことについては、政権交代後、やっと取り上げられて、少しずつ改善の兆しが見られつつあるのは嬉しいことと思っています。

こうした私等のような市井の凡人の願いこそが「国民の生活が第一」と言う政策と繋がっていくと思うものであります。


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