2012年9月11日火曜日

真夜中の付き人


ときおり、眠れない夜がある。とりとめもない思いに翻弄されているにすぎないのだが、朝方まで寝付けなかったりすると、(老人性の不眠障害だな)と、勝手に医者のような診断を下し、舌打ちしながら、寝返りを繰り返す。

 とりわけ心配事があるわけでもないし、不満があるわけでもないのだが、平然と「老人性」なんて言ってみるものの、暗やみの中で寝返る心中は、だんだんと悲観的将来を造り出すことになる。人生の夜を迎えるのもそう遠くはない。そうなれば、想像もつかぬ寂しさや辛さが、竜巻のように体内を荒れ狂うかもしれない、そんな人生なら……いやいや、人間の適応性ほどすばらしいものはないのだから、気にしない気にしない……なんてことになる。

本当のところ、もうすでに残リ少ない、そして夕闇垂るる時間帯の中での毎日である。自分なりに灯を掲げて足元を照らしながら、「黄金の日々を無駄なく有意義に暮らそう」などと欲深くふんばる自画像に、苦笑しつつも、疲れが滲み出てきたのかもしれない。疲れが眠りを妨げることだってあるだろう。

何だかんだと言いながらも、いざとなると「年寄り」扱いされることには反発してしまう私だが、法的恩典には素直に服従していることを考えると、勝手なカラ元気である。

先日ある方が、不眠を訴えながらも、NHKの「深夜便」という深夜のラジオに救われている、とおっしゃった。朝までノンストップで放送されているものである。

これはどうも老人のためのサービス放送らしい。なぜかというと、他局の深夜放送は、夜通し走るドライバーや、若者向けの喧しいものだが、この深夜便は、懐かしい歌や、有名人のエッセー、落語などを、ニュースや気象情報などをはさみながらの落ち着いた放送なのだ。不眠の高齢者は人声も恋しいもの。 
さっそく私も、音声を絞ったラジオを枕元に置き、床に就いた。丁度、深夜便がはじまったばかりか、プログラムが流れている。
そのとき耳にした丑三つどきのエッセーが、どうしても聴きたいと思ったので、「それまで眠らないようにしよう……」などと、何だか本末転倒、不眠に追い打ちをかけるような按配だったが、結局、そのエッセーは聴き損ねたのだから、私は心地よく眠りについたということになろう。

担当アナウンサーも、面白くもない話をして、一人ゲラゲラ笑っているような若者ではなく、とてもいい雰囲気なので、眠れぬままに静かに聴くという情況にぴったりだ。しかも、眠れぬことを苦にすることなく、いつの間にか寝てしまう、ということがとてもいい。

今はもう、眠れようが眠れまいが、ラジオのスイッチを入れるという儀式をしてから床に入っている。元来は頭の上に読書器をつけていて、眠り薬の本を読み、眠たくなったら消灯して眠る体制に入るのだが、もう、読書はラジオにお株を奪われてしまった。

灯を消して、ものの三分で寝付いてしまうときも、ラジオは、夜通し私の寝息とお付き合いしてくれているので、朝目覚めたときは、「ご苦労さまでした」と、声をかけている。私の付き人みたいな気持ちで……。

不思議なことに、その放送内容のほとんどは覚えていない。真剣に聴き入っているわけではないので当然のことなのだが、人の声や音楽が静かに流れている、ということだけで、心が安まるのだろう。

私ごとき凡人は、高齢になるほど人には言えない寂しさや心配が山積してくるに違いない。今は、老いでも病気でもドーンとこい、と、胸を叩ける社会ではないからだ。
物忘れのひどくなる頭や思うにまかせぬ躰を抱え、高齢者のストレスは、不眠という形で、ますます重く覆い被さってくるように思う。

 ともあれ、この、真夜中の付き人のおかげで、私はいくらかでも身軽になることが出来たのは、嬉しいことである。(エッセイストとくしま掲載の旧作)

2 件のコメント:

  1. 夜のラジオはいいそうですね。そう聞いて、少し大きいのを買ったのですが、今の所あんまり聞いていません。

    睡眠剤を使っているので、夜、眠れなくて悶々とすることは余りないせいかもしれません。寝る前はしょうもない小説を読んでいます。

    返信削除
    返信
    1. 私も早めに床につくときは、本をよむのですが、最近は、遅く寝るものですから、バタンキューです。

      最近の薬は、問題なく使えますからいいですね。

      削除