2012年9月3日月曜日

就職難


マーケットで買い物をしていると、外国人の買い物客によく出会う。出稼ぎにきているアジア系の方が多い。

 

景気が悪くて就職難、と言われている日本だが、不景気は、昔から何度かあったことで、流行り歌にも唄われていたのを知っている。

でも、ちょっと今は違う。就職難の一方では、外国人労働者に頼らざるをえないような面もあるからだ。

 

素人の私にはよく解らないのだが、想像するところ、大学卒が多い最近のことだから、仕事の内容が気に入らないために、就職出来ない、ということではないのだろうか?

大学まで出て、危険・キツイ・汚い、いわゆる3K仕事はイヤ、というのは、よく解る。下支えの労働層を、大卒が嫌がるのは、日本だけではないようだ。

食うために職を求めるのは、昔のことで、いかに汗を流さずにお金を稼ぐかを、求める社会になっている。ピラミッドの底辺を支えようという人々がいないのだ。

これは、ご本人だけではない。親たちだって、子どもの数を減らしてでも、大学まで行かせようとする。その結果、失業率が高いにも関わらず、労働者不足となっている……。

 

……いや、ちょっと待てよ。就職難というのは、ただ高のぞみをしているだけではない、ということも考えられる。

そうした職業も、発展途上国からの安い労働力で狭められているのだ。

工場自体丸ごと、賃金の安い発展途上国に持って行くことも日常茶飯事なのだ。

 

こうした現実は、私たちにも責任があると思う。客が、安いものばかりを求める結果、生産側も、安い賃金の労働者を雇わざるをえないのだろう。

低賃金で作られた品物によって、私たちの生活は、いくらかの豊かさを頂いているのだが、これは、自分で自分の首を絞めるに似ているのではなかろうか。

 

こうした労働力の流入と、それに伴う治安の悪化は、早くから問題になっているのだが、これらの解決は、難しい。
社会が、底辺を支える仕事に、それなりの待遇を約束しない限り、問題は解決できそうにないと思うから。

 

こんなことを書いていると、何だか世界中がどこか狂っているように思えてならない。

 

今の中国でも、大きな問題らしい。一人っ子政策で、親たちは、何とか高学歴でいい職業に就かせようと、子どもと離れて都会に出稼ぎに行く。

父母のいない家庭で、祖父母たちと暮らす子どもたち。

少しでもいい大学に入ることが、苦労している親に報いることと、一生懸命に勉学に励む。

それ自体が問題なのだが、そんな親の期待に答えられない子どもたちも増えている。

大学卒が増えてくると、思うような就職先に就職できない。

そうした若者が、自殺に追い込まれたり、心を病んだりしているとか。

 

こんな現実も、人ごとではない。日本にだってあるに違いない。

これからという若者が、夢や希望を失うことなく、働ける社会をつくっていくのは、政治だけではない。

子どもを育てることも、社会を育てることも、私たち一人一人の肩にかかっていることも、忘れてはならないと思う。

2 件のコメント:

  1. そうですね。社会になくてはならない仕事。あってはいけない仕事。そこを見分けるべきですね。

    頭だけで手足がなければ、生きて行くのも大変。社会も同じですよね。みんなが頭になりたいんじゃ、そりゃ仕事はありませんよ。

    今の時代、大学卒業したからって、特別な事はないんです。人のためになる事なら下積みでも何でもしましょう。続けていれば、それがいつか生き甲斐になる。私はそう思います。

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    1. mimiさん、さすがいいことおっしゃるなあ。
      私の書き足りないことを書いてくださる。
      その通りよね。
      仕事が生きがいになるのは、幸せなことですが、世のなか、なかなかそうはならない。視点をかえてみることも大切でしょうね。

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