2012年9月1日土曜日

防災の日


9月1日は防災の日。ひとこと、思うことを書いておこう。

最近は、毎日が防災の日のようなので、特別ピンとこない。これでもかというほど、TVも新聞も毎日防災のことを放送したり書いたりしているし、新しい巨大災害の情報が、発表されたりしたので、最近は、「もうこういう時代になれば、ポンペイではないが、逃げたところでどうにもならない」というような思いになって、半ば開き直ってしまう。
 
ま、私のようなトシの者はそれでもいいが、若い人たちにとっては、こんなこと言ってはおれぬだろう。

防災の日を前にして、昨日はフィリピンの沖合いで、マグネチュード7.4の地震があり、日本の太平洋側にも、津波警報が出る始末。イヤが上にも、防災意識は脳内に蓄積されていくようだ。
 

昔と今とでは、環境がまったくちがっているので、同じ関東大震災のような地震がきても、高層ビルの立ち並ぶ大都会など、その災害の大きさは想像に絶する。

地上50階に住んでいて、揺れだしたら、どれほど揺れるものやら想像できないのだが、いくら崩れたり折れたりしない設計といっても、生きた心地がしないほどの怖い目に会う事は間違いなかろう。思うだけで気分が悪くなりそうだ。

 
先日発表された、最悪の想定は、【起こりうる】ということだから、起こらないこともありうるわけだ。想定外ということばは無くなるだろう。

しかし、こうした最大の被害想定を示されると、私などは無力感に襲われる。
大自然の力の前には、なすすべがないのが全ての生き物なのだ。

 
正直いうと、だれであっても、最悪のことは考えたくないし、死者の数323000人の中に、自分は入りたくないし、入れてみることもしたくないだろう。

でも、本当に人ごとと思わないで、一人ひとりが、正しく【恐れる】ことが大切と心に言い聞かせている。

4 件のコメント:

  1. 自然は恐ろしいです。大災害が来た時、生き残れるかどうか。これはもう、運としか言いようはないのではないでしょうか。

    その時が来たら、取り敢えず動かないと私は決めました。逃げる途中で死ぬ人もあります。水と2,3日の食糧を確保しておくことは必要でしょうが、準備はそこまでです。ぐらっと来たら救急袋どころでないのは阪神で経験しました。

    津波は逃げた方がいいのでしょうが、年寄は多分逃げられないでしょう。人に踏みつぶされるのが落ち。それぐらいなら・・・

    人の世には何があるかわかりませんよ。病気で死ぬかもしれないし、地球がひっくりかえるかもしれないし・・・

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    1. もう、逃げない、と言う年寄りは多いとおもいますが、逃げないことで、皆に迷惑のかかることもありますからね。
      運がわるければ、旅に出たところで災難にでくわせたり、その反対もあるでしょう。まったく、何事も運命かもしれません。

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  2. 今日、NHKで放送していました。まず自分の命を守ることが先決、と家族で話し合っておくこと、と言ってました。東北震災時の教訓だそうです。
    探しに行ったりしていると被害に遭い命を落とす、話し合っておけば信頼し絆で結ばれると言うことですね。私の主人は膝が痛いから逃げないといいます。だからと言ってハイそうですかと自分だけ逃げるわけにいかず、困っているところです・・・この歳になればどうでも良い、その時の事にします。できれば来ない方がいいのですが、とりあえず、大難が小難になりますように祈るしかないですね。

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    1. 自分は災難に合わないというような気持がどこかにあって、人ごとのように楽観している方は、案外多いかもしれませんね。
      でも、いざとなったら、本能的に逃げられるものなら逃げたいと思うでしょうから、ご主人も、一緒に逃げますよ。膝の傷みなどふっとぶのとちがいますか?(笑)

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