私の手元に、一通の手紙がとどいています。ケニアからの「モヨ・チルドレン・センターを支える会」からのモヨ・通信22号が送られてきたのです。
このセンターの主宰は、松下輝美さんという日本人です。そして私は、その会を支える会の賛助会員の一人です。年会費3.000円で、気持ちだけのことをさせてもらっています。
彼女は、昔、徳島の神山町に住んでいました。傍目には、不便不自由な神山の山中で、古家を借りられて、お連れ合いさんとつつましく暮らしておられました。
電気はありましたが、裸電球1つ。ラジオ1台。水は山から落ちてくる水をカメにためていました。トイレは、外の掘立小屋のような昔のトイレ。
生きる目的を、「芸術と愛」に、ぐっと絞り込んでおられ、お連れ合いさんは絵を、彼女は陶芸をされていました。そして生活のため、お連れ合いは1週間のうちの4日ほどを山の中でのアルバイトをなさっていました。
無垢な青年のような理想を、幾つになっても失わずに生きてきたお二人でした。当然のことながら、お二人はいつも輝いておられました。仲の良い友人同士といったようなお二人。照美さんの誕生日には、宝石ならぬ、宝石のような詩を贈る、といったような、素敵なお二人でした。
私は、まったく知らなかった彼女のところへ、一度お伺いしたことがありました。私の友人が、彼女のことを知っていて、こういう方がおられるから、一度、連れていってほしい、ということで、私の車で出かけたのです。
見知らぬ私どもを快く迎えてくださいました。私はその生き方に感動したものですから、その後、何度か文通いたしました。
そんなお二人に、突然の不幸が起こりました。平成4年の9月、お連れ合いさんが、アルバイト中、機械もろとも谷底に転落して亡くなられたのです。
実のところ、残された照美さんが、はたして立ちあがれるのかと、心配しておりました。が、見事に立ち上がりました。
照美さんは、お二人の『二人展』を、徳島と東京で開くというのです。一年間、それに向かって歩まれました。私は、知人たちに、その展覧会をぜひ観ていただきたいと、手紙をあちこちに出したのを憶えています。
展覧会を、無事になしとげられて間もなく、照美さんは、彼の遺骨を持たれて、遺骨を埋める場所探しの旅に出られたのです。それは、アフリカと聞いておりましたが、どこをどう回ったのかは、よう聞きませんでした。
便りのないまま、何年か過ぎました。あるとき、彼女のことを知り、驚きました。
ケニアの貧しい部落で、恵まれない孤児たちのために、命の危険もかえりみずに働いていたのです。
その甲斐あって、今はケニア政府より、国際NGOとして「ヨモ・ホーム」が、正式に認可登録されています。
日本からの寄付をつのって、学校もたてたり、その活動は、素晴らしく、日本とケニアを何度も往復して、支援活動につとめられています。
ここまで書きますと、もうご存じのお方もいらっしゃると思います。何度かテレビでも、紹介されたりしましたから。
世の中には、素晴らしい方がいらっしゃること、あらためて感心しております。
私ごとき者には、真似ごともできませんが、せめて彼女のご健康を祈らずにはおれません。
そんな方がいらしたんですか。素晴らしい生き方ですね。ごまめさんは幅広く素敵な方とお知り合いですね。私のように1キロ範囲でちまちまと生きているものには、眩しいほどです。
返信削除いいお話を沢山聞かせていただいて感謝です。
現地での生活は、今の私達の生活から考えたら、とても考えられないような暮らしをなさっていると思います。よく頑張れるものですね。私のような者とは、人種が違うようです。
返信削除眩しくて目が開けられません。