2012年9月19日水曜日

芸術の秋


そろそろ芸術祭だの、秋の展覧会・・・といった行事が目白押しにやってくる。もう、手元には、何枚かの案内状がとどけられている。案内状を頂くと、万難を排して出かけることにしているのだが、現代書道などのように、見てもよくわからない・・というような、相手様に失礼なときもある。でも、書いた方の努力にくらべると、見て差し上げることくらいは・・・という気持ちがあって、理解できずとも気軽に出かけていくことにしている。

 

でも、気の重いのが「書道」と「活け花」展覧会である。なぜかというと、このふたつは、たいてい入り口に、美しい着物を召された受付の方が何人か並んでいて、立派な芳名簿に筆を添えて待ち構えていらっしゃるのだ。

 

もうそれだけで、私のような悪筆者は、字どころか、躰全部が萎縮してしまう。それでも、度胸をふるい立たせて、(たかだか住所・氏名ではないかぁっ!)と、気合を入れて筆を握るのだが、その間中、彼女達は、とてもお行儀よく、じいーーっと私の手元を見つめたままなのだ。心の内では、何を思っていらっしゃるかは、私にもようく分かる。その恥ずかしさったらない。

「すみません。下手な字でお帳面汚したわ」と、愛想笑いの一つもしながら、関所を通過する。きっと私の肩は、お尻あたりまでガクンと落ちているにちがいない。

 

「字がヘタぐらいで、何を言っているの?お前さんの字は、下手でも読める字じゃないか」と、私の中のもう一人のヤツが言う。字を書く商売だったと言ってもいいくらい、毎日書いてたのに、それでも巧くはならなかったのが字。巧くなるためのお稽古は、とうに諦めているが、いかにヘタをごまかすか・・・のお稽古は、毎度心掛けてきたのだが……。

でも、ごまかしはどこまでもごまかしで、ヘタはどこまで行ってもヘタなのだ。

 

こんな私だが、夫が生きていたときから、赤熨斗袋、蓮熨斗袋の表書きは、私の役目としてきた。夫は、私に輪をかけた悪筆だったし、一人前になった息子も、更に大きな輪をかけなくてはならないほどの折れ釘流である。

そんな一家だったから、少なからず、息子の結婚相手に期待していたのだ。

 

やがて息子も家庭を持ち、同じ庭に住んでいるのだが、期待通りにはならなかった。やはり、お隣りさんの熨斗袋まで、しばらく書いてきた。お嫁さんがどうも私を立ててくれているようだった。私ほどの悪筆ではない。(笑)

ところがである。どうしたわけか、孫ふたりは、なんと、字を書くのが好きで巧いのだから驚く。特に下の孫は、金文字で『特選』と書かれた賞状をもらってきたことも何度かあった。

こういう現象を、「とんびが鷹を産んだ」というのだろう。とんびは、鷹の持ち帰った賞状に目が眩むらしく、目を糸のようにして何度も眺めていた。

今は、自分独りの熨斗袋書きで済んでいるのだが、早晩嫁か孫の手にお願いすることになるだろう。手の節々がそう言っている。

 

2 件のコメント:

  1. そうなんですか。お孫さんが字がお上手という事はごまめさんに字の上手な遺伝子が潜んでいたという事でしょう。よかったですね。

    うちの孫は私の悪いとこばっかり律儀に受け継いでいて、字は下手、歌が下手、お世辞下手、いいとこもある筈なのに、どうして悪いとこばかり受け継ぐのだろうと嘆いています。

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    1. 私の家系は、ダメです。妹弟皆、下手。夫の母親がスジがよかったのか、夫の叔母や姉は上手いです。そちらに似たのかな。(笑)
      mimiさん。貴女の頭のよさを受け継いでいるのでしょう。一番いいじゃないですか。(^^)

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