2012年9月13日木曜日

老人福祉月間


9月は老人福祉月間ということで、全国のあちこちで、敬老の行事がおこなわれているようだ。

私も先日、役場から、敬老の日の催し物「敬老のつどい」についてのご招待状を送って頂いた。

毎年、頂くのだが、一度も参加したことがない。初めて通知をいただいたときは、「まだまだ年寄りではない」なんてふんばっていたのだが、もうそんなことは思ってもいない。

だが、敬老のつどいに行こうとは思わないのだ。理由は簡単なことで、会の内容に、魅力がないのだ。内容がつまらないというのではない。私が参加しても、私の気持ちに、ぴったりこないというだけのことなのだ。
全ては町の税金を使ってのもてなしなので、気のすすまぬ者が行くのは、税金の無駄遣いでもある。
寿命がL寸となった昨今、あまり敬老敬老と騒ぐのはいかがなものかとも思う。
敬老とは、老人が祝ってもらう日ではないように思うのだ。むしろ、若い方たちに、敬老精神を、そして老人には、立派な長老の方から、若い人たちのお手本になるような老人になりなさいと、教育を受けるような日であってほしいと思うのだ。

高齢とは、業績でもないし、功績でもない。だれでも長生きしたら高齢者である。しかも、少子高齢社会の中にあっては、できるだけ若者に負担をかけないようにしようと思うのが当然と思う。

医療費でも財政の関係で、負担が高くなると、目くじらを立てて、老人をないがしろにするなと怒るのは、みっともない。本当に払えない方は、それなりの援助を受けることができるはずだ。
何もかも、援助ばかりを求めるのは、自分から、老いの坂を転げ落ちて行くもので、子どもの過保護と同じである。
自立自立といいながら、がめつく求めることは、矛盾しているように思う。自立とは、他人を頼らないことなのだ。

子のために、歯をくいしばっても自立してこうと決心をしている老人は、たくさんおられる。私たち老人に使われる税金も、子どもたちが負担しているのだ。
少しでも長く自立できる老人でありたいと思っている。

2 件のコメント:

  1. 同感です。死ぬまで自立していたい。誰のためでもなく自分のために・・・でも、これも思うに任せぬ所があって、病気したり、老いが深まってくると、誰かのお世話にならざるをえないんですよね。

    私の所には敬老会の通知なんて来ません。ここに住んで、もう17年ですが一遍も来た事ないです。税金を使って何か催しをしているのかどうか、よく知りません。なにしろ、ここの自治体貧乏ですから・・・

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    1. mimiさんのように、ケアハウスに入っていらっしゃる方は、毎日が敬老会をしていただいているようなものでしょうね。
      有難いですよ。いつも指導員の方がおられて、いろいろとやってくださるのですから。

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