2012年9月7日金曜日

忍びよるもの……


同級生のYさんから、久しぶりの電話があった。その中で、同級生の中でも、健康優良第一人者と折り紙をつけていたNさんが、最近は、人並に病院にかよっている、トシは争えないなあ……ということだった。

Nさんが『毎日が日曜日』という身分になられたのは、丁度、66歳のときである。それからは毎年、四国八十八か寺の歩き遍路をなさっていて、丁度10回結願されている。
いつもお正月が明ける頃になると、そわそわしはじめて、2月の下旬には出かけていたとか。

始めは一般の方たち同様に、40日以上かけていたそうだが、だんだんと早く歩くことが出来、そのうちに31日余りで結願。もう馴染みになったお宿の方や、遍路仲間も驚いていたというツワモノだった。

「以前、車で15回ほど回っていましたが、やはり歩いていくと、不思議と、過去の悔いることばかりが脳裏をかすめて、日常の生活の中では掬えない心の塵や芥が、掬えます」
物静かに語られるが、強く放射するものがあって、話に引き込まれていく。

驚くのはまだ早い。歩き遍路をはじめて3年目、誘われて石川県の白山に登ったところ、大自然の魅力の虜になってしまったのが68歳だった。
そのあと、山登りの明け暮れがはじまる。日曜日のほとんどは、会員としての登山をし、その外に週1回か2回は、厳しい登山に備えての訓練もかねて、重い荷物を背負って近くの500メートルほどの山を50分ほどかけて登る。その合間には、独りでふらりと目指す山に出向く。
……ということで、1年に80回ほど、山を登り降りしてきたという。今はもう、日本百名山全て登頂達成されているようだ。

「台湾の玉山にも登りましたが、まだ若い方たちと登っても、大丈夫です」
と、自信の程は十分だった。
山登りと歩き遍路は、お互い持ちつ持たれつの相乗効果ということだったようだ。

更にあこがれのネパール・ヒマラヤのベースキャンプまで行くメンバー10人のうちの一人に選ばれた。登山家のあこがれの地、たとえ頂上は目ざせなくとも、ベースキャンプからの、見事な山々の勇姿を目にすることは、たまらない魅力だったに違いない。

だんだんと持ち重りがしてくるお互いの『老い』であるが、ご家族の理解、協力のもと、彼は味わい深い人生を歩まれてこられた。
どうも彼の場合は、ますますお元気になり、老いの方が追いつけないようだ、と同窓会にお会いするたびに、皆と話し合っていたのだ。

 
「Nさんでさえも、ほころびが出てきたのね」と、Yさんはつぶやく。
当たり前のことではあるが、先頭を走っていた彼だけに、身につまされる話だ。

鍛えぬいたNさんが、また、お元気になって、山登りの話を聞かせてくれる日がくることを祈っている。

 

4 件のコメント:

  1. 凄い方なんですね。ごまめさんのお知り合いには、びっくりするような方が多いようです。

    病院通いは仕方ないとして、それほどの体力の持ち主なら、すぐお元気になられるんじゃないかな。

    私なんか子供の時から坂道上るのさえ、フーフーでしたのに、まだ生きておりますから・・・

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    1. mimiさんと同様、私も、ちょっとした坂道登っても、はあはあ言うくちです。ですから、山登りなど、とても向いていません。ハナから、しようとも思わない。せいぜい登っても、300級の山を、ゆっくり時間かけて登るくらいですね。
      心臓が違うのでしょうかねえ。

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  2. 私は、健康な方を見ると羨ましく思っていました。
    でも、元気な人たちが、老いて行くのを見ていると、歳には勝てないことが分かりました。誰もが、あちこちと痛いところが出て来るようですね。
    私も、昔職場でマラソン(女子)一位になったこともありましたが、今は一病息災で楽しく生き延びています。
    これからは、それなりに老いて、若い人たちに老いを自慢して行ける様に過ごして行ければ楽しいかも知れませんね。

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    1. 老いを自慢できるような生き方……、難しいけれど、そうありたいですね。
      一病息災野肩は、無理しないし、お医者さんとの絆もありますから、長生きできるようですね。

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