2012年9月22日土曜日

命日


今日はお彼岸。昼と夜の長さが同じになる日で、いつもなら9月23日だが、今年は、116年ぶりの22日だそうだ。

この、めったにないお彼岸が、夫の命日と重なった。

もう、まるまる17年。正直、17年もたつと、当時のことのほとんどを忘却の彼方に消してしまっている。何の心準備もなく旅立ってしまった夫を、ただただ可哀想に思って泣いたのだが、もう今となれば、私も夫のように、暖簾でもくぐりぬけるように、あっとあの世に逝きたいと思っている。

もう何年も前の話になるが、マイカーに夫の写真と位牌、そして夫の姉二人を乗せて、1週間ほど九州を走ってきたことがある。

夫や義姉たちは、たまたま父親がある会社の建築技師だった関係で、九州で生まれ大きくなっている。だから夫にしても姉にしても、九州は少年・少女時代の〝思い出宝庫〟なのだ。

そんな、思い出がずっしり詰まった場所を、気ままに尋ね歩いてきた、というわけである。

夫が生まれた長崎県佐々村(現在佐々町)の生家跡(借家)は、夫の戸籍謄本で、番地まで分かっていたのだが、なかなか見当らず、役場の方にお世話になって捜し当てた。新築の立派な家に変身していた。

小学校も、鉄筋の校舎になっていたが、運動場や中庭あたりの様子は昔のままらしく、「特別誂えの大きな学制服を着た一年生の弟の手を引いて、この中庭まで毎日連れてきたなあ……」という姉のことばに、〝相撲取りの子ども時代〟といったような、夫のランドセル姿が、ありありと見えてくるのだった。

また、家族でよく出掛けたという佐世保も見逃せなかった。「玉屋デパートで、玉屋ライスとアイスクリームを食べるのが楽しみだった」という姉の思い出を〝地で行こう〟と、玉屋をさがし、食堂に足を運んで、目的を果たした。

佐々村から、転勤で移った福岡県飯塚市外の社宅は、修理の跡はみられたが、その家だけが、そのままの形で残されていたから嬉しい。

「この家は、お父さんが設計したのよ」と、懐かしそうに姉は呟いていた。あまり、家の周りを行ったり来たりしたものだから、家の中から、老夫婦が出てこられた。理由を言う姉の気持ちが通じたのか、老夫婦が「中にどうぞ入ってください」と言ってくださる始末。それはご遠慮した。

家の裏には、昔は草の一本もなかったというボタ山が三つ、青い草を生やし、優しい山になっている。ここでも、腕白時代の夫の様子が、風のように運ばれてきて、昔日を彷彿とさせてくれた。

姉たちも、幾十年も昔のことをそうそう憶えているわけではないのだが、目にするものすべてが、歳月の裂目から飛び出してくる思い出と重なり、心は陽を吸い込んだ布団のように、温かく膨らんだことと思う。「この坂、こんなに低い坂だったかしら」などという姉、巻き戻したフイルムの中で、暫く心を揺らせていた。

「こんな素晴らしい旅行があったとは……」と、ひどく感動してくれ、誘いがいがあったというものである。

旅の途中、姉たちの希望もあって、観光地にも足を延ばしたが、それはそれとして、またいい思い出となった。なんせ九州は丸ごと火山というところだから、景色は大物だ。行くところ温泉だらけ。気のすむまで大自然を満喫することが出来た。

さすが九州ともなれば、どこも観光バスが横付けされている。この日のために働いてきたんだ……といいたげな、還暦を過ぎた顔の観光客が多い。そんな面々が、トントンとガイドさんの後を追い掛けていく。そんな人たちも、「ああ、極楽はこの世にあるもんや」と言いたげに、湯煙の中でにんまり足腰を伸ばしているのを見ると、団体さんであれ何であれ、旅は誰にとっても心の古里なのだ、ということがよく解る。大自然の前に頭を垂れ、出会いやふれあいに感動することで、心と躰に掃除機をかけたような気分になつてくるのも皆同じらしい。

夫が亡くなるちょっと前だったろうか。夫に「あなたの生まれた九州と、私の生まれた北海道を、車でゆっくり巡ってこない?」と持ちかけたことがあった。話が煮詰まらぬうちに、急に夫が先立ったものだから、この旅は、私には格別の思いがあったのだ。

うまく言えないが、家の中に居るようで居ないようで、私のなかで生きているようでいないようで……そんな風のような夫だったが、やっぱりこのような旅をしてみると、私のなかでいつまでも居座っているなあ、と思ったものだ。

心の底に細々と灯っていた〝人生を照らす灯〟も、ちょっとばかり明るくなったような気分で旅を終えたのを思い出している。

4 件のコメント:

  1. ごまめさん、運転が達者だから何処へでも行けて良いですね
    私は、和歌山の実家の墓参りに行ってきました。フェリー2時間あれば到着、旅のような気がしませんね。和歌山駅構内の高島屋で、ふるさと納税のつもりで買い物をして(笑)るんるんで帰ってきます。出来る限り、毎月お参りに行ってます
    実家は、昔建具屋でした。終戦後、人手に渡り、また建具屋さんになっているのを、のぞき見ながら子供のころを懐かしんで、お寺に行きます。近くても故郷は良いですね。

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    1. kyamiさん、感心ですね。和歌山まで、毎月お参りにいくのは、なかなかできませんよ。近いようでも海をわたるのですもの。
      故郷はほんとにいいものです。たとえ生家がなくなっていても、思い出があちこちにありますものね。

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  2. ごまめさん、いい事なさいましたね。お姉さんたちきっと一生の思い出になったと思いますよ。故郷は何時まで経っても忘れ難いものです。

    かくいう私、今年のお彼岸はお墓参りもサボりました。夫を送って30年。顔も忘れかけています。娘にすっかりお任せ。その代り家の様子も娘の思うままに変えています。

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    1. mimiさん、それでいいのとちがいますか?
      80すぎたら、生きている方にも、亡くなった方にも、義理を欠いてもいいですよ。赦してもらいましょう。夫さんも、それが気に入らなければ、再び「嫁になってくれ」とは 言わないでしょう。ふられたら、もっといい男はんをみつけたらよろしいですよ。(笑)

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