2012年10月3日水曜日

孤独


昨日は、ひとり暮らしのことを書きましたが、また、今日も、『孤独』などというと、いかにも老人くさいブログになるのですが、ま、こらえてください。だれしもが老人になるのです。(笑)

何年か前に、新藤兼人さん(映画監督)が、こんなことを新聞に書かれました。

『世の人々は、老人とは、ある達観の境地に入り、よくもトクもなく、仏さまに近づいていくように思うかもしれないが、それは大きな誤解だ。競輪競馬に例えると、最終コーナーに入ったわけで、あとはゴールに飛び込むだけである。競輪は尻を持ち上げ、競馬はムチを入れる。人間も同じだ。ケツを持ち上げ、ムチを入れたい。仏に近づくどころか、我欲はつのり、未練が燃え上がり、欲求不満が爆発するのだ。
だが、頭は鈍くなり、肉体は衰え、我欲は次第に手がとどかなくなる。これが老人の真の姿である。

こうした老人は、一方では自由になりたいのだ。欲求不満や、叶えられなかった無念さを、せめて自由に解放されて、じっくりと味わいたいのだ。

わたしは24時間自由だ。しかし、まるきり自由というわけではない。自由には【孤独】がまじっている。今夜は何を食べようか、とか、シナリオを一本書きたい、などと思っているときは、孤独ではない。

夕食を終えてテレビのスイッチを入れる気もおきないとき、気が付いてみると、わたしはぼんやりと食卓の椅子にかけているのだ。
以前は、隣の椅子には乙羽信子さん(妻)が掛けていたが、今はいない。
わたしは、闇の中に佇んでいる気がする。あともさきも真っ暗だ。これが孤独だと思うと、ふと、孤独を楽しみたいという気がする』と。

 
正直いって、トシを重ねることは孤独との闘いでもあります。孤独との上手な付き合い方をしなくてはならないのが老人です。新藤氏のように、最後まで仕事に向かっておられた方も、【あともさきも真っ暗】という孤独とお付き合いなさいました。

人間、生まれるときも死ぬときも独りであって、「孤独」とご縁が切れることはないことをしみじみと思います。でも、新藤氏は、その孤独を楽しみ、上手につきあっておられました。言い変えますと、人間は、老いてこそ、孤独の中に耐えてこそ、本当の自分に出会えたり、発見したり出来るものかもしれません。

 

2 件のコメント:

  1. 孤独を辞書で引いてみました。①みなしご。子供のいない老人②ひとりぼっち。とあります。

    私は老人だけど、別居とはいえ子供はあります。ひとりぼっち、の方はどうかと言うと、三分は集団で七分は独り。

    でも、孤独感に悩まされるという感じはありませんね。どちらかと言うと、束縛されなくていいです。

    もうちょっと年を取って、体が今よりもっと不自由になるとまた変わるかもしれません。孤独死も恐れないつもりですが、いざその場になるとどうでしょう。

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    1. 孤独感も人によってさまざまでしょうね。楽しめるような孤独もあれば、死にたいような孤独もあるはず。私も、孤独は今のところ忙しくてそれどころでない感じ。(笑)

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