10月も半ばになると、朝晩は肌寒さを感じるようになりました。今朝などは、「ああ、もうすぐストーブを焚くようになるなあ。灯油の準備をしておかないと」と思ったりしました。
昨夜は、先日読み残していた、Mさんから送っていただいた 関 政明さんという方の歌集【走る椅子】を読みました。走る椅子とは、関さんの愛車、電動車椅子のことです。
・夕暮れの歩道をわが椅子走りゆく二つ車輪を光らせながら
関さんのことは、よく知っています。と言っても、お会いしたことも、お話したこともないのですが、よく地方新聞の短歌や俳句の欄にその作品が選ばれて載っていましたので、その作品を通して、色々と想像していたにすぎません。
関さんは、現在、海辺に近い療養施設で車椅子生活をなさっておられます。画家を志していらしたのですが、まだ若いころ、脊髄腫瘍という病に倒れられ、以後、ずっと麻痺と闘いながらの入退院を繰り返し、今は療養施設での生活を余儀なくされていますが、それでも、絵を描かれながら、短詩にも打ちこまれてこられました。次第に身体の自由を奪われて行く病のため、ややもすると悲観的になりがちなはずですが、どのように気持ちの中で発酵させ、味付けをされているのか、出てくる短歌は、ユーモアもあって、人間味にあふれていて、しかも真摯に病と向き合って生きていらっしゃるので、私のような短歌にはご縁の薄い者にも、眩しいほどの感動と、生きる力をあたえていただけるのです。むろん、重度の障害を持つ身です。時には針のむしろのような傷みに耐えたり、呻きであったりが短歌になっておりますが、それでも、けっして諦めではありません。私たちに光をあたえていただけるのです。
そのはずです。ご本人のあとがきによりますと、ご自分の病よりも、療養生活のできることに感謝をし、不自由であっても、出来ることを、前向きにやっていこうという姿勢が彼を生き生きと充実した生活に結びついているのです。
病んではいない私めが、病と闘う関さんから、生きる力を分けて頂いた本でした。 関さん。ありがとうございました。
・全身で生きし日もあり麻痺の身を横たへ遠き花火を睨む
・麻痺の脚慣れてしまえばそれもよし若葉仰ぎて絵筆を握る
・飛び散って激しきものよ曼珠紗華いのちぶつける絵の描きたし
・生き方は選び取るもの北風に向かい電動車椅子馳す
・療園に衣食の足りて介護されテレビ見ている日々の空つぽ
・わが家とも獄舎ともなる療園の小さな空に銀河またたく
・芽吹きゆく中庭の木よ病床にわれは気化するごとくまぶしむ
・自動ドア真ん中より割りわれは出るウォークマンの歌と一緒に
・大小の輪を四つ持つわれの椅子万のコスモス揺らして走る
・しっかりと生きてゆかねば何もかも介護士まかせの生にあれども
関さんの柔らかくて鋭い感性にはただ感心するばかりです。歌集を出されたことは伺っていますが、まだ読んでいません。
返信削除あの方の作品はいろんな所で入賞作として発表されていますので、1部は知っております。授けられた天性、充分に発揮されますよう祈っております。
関さんのご本は、全国誌の短歌研究誌の、「作品季評」という欄に取り上げられるように聞いています。
削除中央にもみとめられているようですね。すばらしいことです。
これからも、頑張っていただきたいですね。