2012年10月2日火曜日

ひとり暮らし


台風の後の一日遅れの青空である。気持ちのいい朝を迎えたので、さっそく庭に出てごそごそと用事をしていると、電話が鳴っている。急ぎ家の中に飛び込んだが間に合わなかった。携帯電話は、いつも身につけているのだが、固定電話は、そうはいかない。何かの連絡を待っているときなどは、子機を外まで持ち出して用事をするのだが、なかなかうまく受信できなくて、一方的に、「もしもし」の連発ということもある。ひとり住まいというのは、不便なことも多いものだ。

ひとり住まいということばで思い出すのだが、「ひとり暮らし」と「独居」とは、まったく同じ意味あいのことばなのだが、なぜか「独居」ということばはうら寂しい感じがする。「ひとり暮らし」というと、いかにも自由に伸び伸びと暮らしている感じがするから面白い。
「独居老人」というのはよく聞くが、「独居青年」というのはあまり聞いたことがない。「独居」は、まるで【老人専用語】のような使われ方である。

最近は、独居老人を地域の方々が見守っていこう、というようなところも出てきたようだ。というのも、世の中の環境も、生活も昔と変わってきたものだから、独居老人に、生活の不便と不安が大きくかぶさってきたことがある。

私は、まだ何とか元気で、車を走らせているし、独居とはいうものの、同じ庭に息子たちが住んでいるので、今のところは不安も不便も感じてはいないのだが、車にも乗れず、息子たちが遠方に住んでいるとなれば、大きな不安と不便を抱え込むことになるだろう。

そうしたお年寄りを地域の方たちで支え合うというのは、本当にありがたいことだ。「何か買い物の用事ない?」「重たいもの運んであげるから言ってね」「今日は私暇やから、いっしょにお茶飲みましょうよ」などなど、ちょっとしたことばかけが、お年寄りに生きる元気を与えるのではないかと思う。

私自身、もうすぐ82歳という高齢者なのだが、まだ、こうしたことをさせていただきたいと思っている。まだ出来るからだ。

老化は、「してもらいたい」と思うことから始まる。出来ないことは、してもらって当然だが、出来ることは自分でする、という自立自律の精神は、一日でも長く持つのが若さの秘訣と思う。

元気になんでもできる老人が、年寄りだからといって、大威張りで優待席に座るよりは、まだ立っていられることを喜ぶべきだろう。

何事によらず、過保護に甘えてはいけないのは、子どもも老人も同じと思う。

 

 

2 件のコメント:

  1. 仰る通りですが、ごまめ女史は独居とは言えないと思いますよ。同じ敷地に息子さん達がいらっしゃる。自分の意志でどこへなりと行くことが出来る。独居老人のイメージとは大違いです。

    地域で支えようといってもなかなか難しいようですね。若い方は昼間は仕事で不在が多い。共稼ぎで家事もアップアップ。

    個人情報保護とやらで他人の事に口出しするのが難しい。この頃、病院でも銀行でも名前を呼ばれないでしょう。これってどこかおかしいような気がするの。事情が分からなければ助けることも難しいでしょう。

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    1. そうですね。私は独居ではないかもしれません。
      地域で支え合うのは、やはり老人同士でしょうね。しごとを退職したそれこそ小金持ちの方が、ボランティア精神で、やっていただく、ということですね。
      個人情報保護は、たしかにおかしいです。行き過ぎですね。

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