2012年10月23日火曜日

ロマンチスト


私がロマンチストというわけではありません。ロマンのある人が好きということであります。夫との結婚もそうでした。めっぽう短気で、いいかげんな所のある男でしたが、ロマンのある人だったし、望まれたので、先輩同僚から「苦労するぞ」と脅されましたが、夫婦になりました。
皆さん、よく見ておられました。おかげで苦労はしました。短気で経済観念のない人でしたから。()

でも、最後まで逃げ出さなかったのは、相手のロマンを大事に思ってあげられたからだと思っています。大きな子供を抱えたようなものだと思うことで、何とか持続できたのです。(笑)
今は、何の後悔もありません。夫にたいしても、ああすればよかった、こうすればよかった、なんていうことがないのです。
自分なり出来る範囲のことをしたという満足感があります。ちょっと傲慢ですが、他人さんはどう思うかは別で、私としては、あれ以上は無理、精一杯ということですから、傲慢でもなんでもないと思うのです。
考えてみますと、私は、何でもすぐに信じる単細胞で、安易に満足してしまうタイプみたいです。 おまけに、私のロマンは、ロマンにあこがれる、単なるエセロマンチストです。でも、けっこう自分流の生き方に満足しています。

夫は、自分の仕事には、情熱をもっていて、夢がありました。それは、耳の悪い身体障害児の教育で、その夢のためには、無茶苦茶することも、いといませんでした。夫は、聾児の教育は小学校からでは遅すぎる。ゼロ才からの母と子の教育をしなければならないという主義でした。普通、子どもが言葉を憶えるのは、産まれたときからの周りのことばかけによって憶えていくので、それと同じように、いつも母親が、そうしないと、子どもは伸びない、教育効果があがらないというのです。でも、相手は、耳の悪い子です。どのようにことばかけをしていくか、教育していくか、それを学校で子どもと共に学び、家に帰ってそれを子どもと共に学習していくのです。学校も、教育委員会も、そんな予算がないと突っぱねます。予算がないは、やる気がない、と思うものですから、とことん上に向かってゴネます。少なくとも、幼稚部をつくることからはじめてくれるよう、要求します。

たまたま理解のある校長先生がいらっしゃって、校内でやりくりして、

1年保育が出来ました。しかし、それができると委員会にまた無理をいって2年保育、3年保育と要求は次々出てきます。教育委員会は、「金がないのに5円くれというのでやればすぐ10円くれ。10円やればすぐ20円くれと言う」と怒ります。怒られたって平気です。

しかし、理解ある校長ばかりではありません。委員会にタテツイテまで、子どものことを考えないのです。あるときは、「委員会がダメダといったら校長はそれに従うものなのだ。できるものなら、お前が校長になったらやったらええ」と。正論なんでしょうが、夫は家にかえってきても怒りまくります。ボロ校長にドがついて。(笑)

上司もたまったものではありません。でも、やはり私は夫の言い分を信じました。子どもの幸せのためには、出来る努力はするのが正しいと。

そのうちに、やっと夫等のやっていることが、認められて、とうとうゼロ歳教育にまでこぎつけました。

こんなメンドイ夫でしたが、死後、障害児を持つ母親、そして子どもたちには、笑顔を忘れなかったと聞いて驚きました。にこやかな遺影をみて、「ああ、こんなお顔でいつも教室に入ってこられて、子どもに話しかけてくださいました」とおっしゃるのです。「先生に出会っていなければ、子どもといっしょに死んでいた」といった親ごさんも何人も来てくださいました。そうした親ごさんたちの苦しみを、本心耳を傾けて共感出来たのでしょう。人間味のある教師だったようです。

苦労のストレスのはけ口は、釣りと家庭でした。理由もなく怒られたりしましたが、「鬼には仏が必要」と我慢。と言えば聞こえがいいのですが、私も呑気者ですから、そんなにハラもたちませんでした。「勝手に怒っとれ」と柳に雪折れなしで、どこ吹く風です。保身術でもあります。

息子も、家庭での父親には、かなり反面教師的な思いもあったようですが、死後、父親のしてきた仕事をだれかれに知らされて、「親父は、尊敬出来る教師だったと思えるようになった」と私に語り、私もほっとしました。

世間には、いろいろな生き方があります。

幸せの物差しは、人それぞれに違い、一概にどれがいいなどとは言えないので、自分好みの生き方をしていくだけです。どちらにしても、悔いのない生き方こそが、幸せと思うのです。

教師を辞めてみると、世間は広いなあと感じました。ロマンのある方がたくさんいらっしゃいます。そんな方たちが、一生懸命になっていらっしゃるのをみますと、男であれ女であれ、惚れ惚れしますねえ。得てしてそういう方は、自分のことは後回しで、奉仕の精神が背骨を貫いているようです。

この歳になりますと、人間の裏も表も見えてくるので、ますます人間好きになります。隠された部分にだって、いいところはあるものです。

多くの方たちとの出会いは、幸せなことだということですね。

2 件のコメント:

  1. ごまめさんの、旦那様は大きなロマンを持った素敵な方だったんですね。私は直接存じ上げませんが、お知り合いの方が仰っていました。ご自分のお仕事に突き進んでいく方だったって・・

    ごまめさんは理想的な奥さんでいらっしゃいます。旦那様のロマンも奥様あってこそ・・・

    お二人とも理想的な人生を歩んでこられましたね。ごまめさんはこれからも、ロマンに向かって歩んでください。

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    1. 夫は職場でも、家でも我儘を通した人でした。職場でも、迷惑かけられても、「憎めない人」といわれていて、得な人でしたね。大いに抜けたところがありましたからね。(笑)

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