2012年10月31日水曜日

古典の日


いよいよ10月も終わりです。もう晩秋という感じですが、まだ半袖の元気な方もいるものですから、晩秋には早すぎるのかもしれません。

今日10月31日は、古典の日だそうです。知りませんでした。新聞を見て、「そんな日ができたのか」と、思ったことでした。新聞にも、認知度が低いとありましたが、そのはずで、法制化されて、初めて迎える『古典の日』だそうです。やはり、こうしたことには、熱心に法制化にとりくんできた方がおられるのは当然のことで、瀬戸内寂聴さんや、日本文化研究者のドナルド・キンさんらの文化人が運動をすすめてこられたようです。

私は、自分でエッセイなど書くのが好きなくせに、まったく古典に弱く、勉強していませんので、悔いているのですが、若い方たちは、やはり興味をもって学んでほしいと思っています。

古典離れは、かなり以前からすすんできたようで、国文学を学ぶ学生以外は、古典に接するのは、受験勉強まで、ということらしいので、やはり、学校教育の責任もあるように思います。

私自身をふりかえってみますと、女学生時代、まともに古典を学んだことは記憶にありません。多分、何か忘れましたが、古典のある一部分の文章が国語の教科書に出ていて、それを学んだのでしょうが、ただ書いてある意味をなぞったくらいで、深くは学んでいないはずです。
 
師範に入って、初めて『増鏡』を学んだのですが、ただ分かりにくい文章を現代語に訳して行くだけの授業で、何の興味もわきませんでした。『初めが肝心』というか、習うべきときに、きちんと習っておかないと、なかなかモノにならないのは、古典にかぎったことではありませんが、とくに国語や英語のようなものは、中学校の教育は、肝心と思います。頭の柔らかい海綿のように、吸い取っていく時代こそ、いい教師に恵まれることは、大切なことだと思うものです。

無論、高校、大学で、そうした教師にめぐまれて、目覚めていくこともあるでしょうが、私のような、凡人は、土台の教育が出来ていなかったら、なかなか高くは築くことはできません。当時の先生を恨むわけではありませんが、もっと魅力ある古典の授業をしてくれていたら、なんて恨みたいですね。(笑)
やっかいな文法や活用形だけを、ムチをもった怖い先生が、机をしばきながら、ひとりひとりに言わせて、机間巡視していたのを、懐かしく思い出しはしますが、何も憶えていない。(^^;;
 
先生に責任をなすりつけたりして、ほんとに悪い教え子であります。先生、ごめんなさい。m(_ _)m

2 件のコメント:

  1. 古典の日なんて聞くのも初めてですのに、それが法律になっているなんて、驚きました。大体、この頃は何とかの日がやたらに多くて、覚えるのも大変です。

    祝日でさえ、年によって日が変わるので、覚え難いんですものね。やたらに休みが多いなあ、と思うくらいで、その日がそうなった意味さえよく分からないんですよ。

    さて、古典の日と言うのはどういう日なんでしょうね。もっと古典に親しめ、古典が大事、古典こそ日本語の源流、いろいろ考えて見ましたが、よく分かりません。

    短歌みたいなもので遊んでいますと、古典の文法が分からないと、読む事も作ることも出来ないので、古典の端々を齧ったりはしますけれど、古典の日まで作るとは思いつきませんでした。

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    1. 古典の日としっても、古典を紐解くこともしなかった私ですが、ま、世間の方々も私と似たよったりでしょうね。こういう日が出来たのは、古典離れがますますひどくなったことで、せめてこういう日を作って、古典に親しみましょうということなんでしょうが、もう、これは、学校教育に期待することしかありません。

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