2012年10月5日金曜日

柿の木


庭に柿の木が2本ある。何年か前のことだが、3年ほど、実がひとつも成らない年が続いた。もう老木で枯れる寸前なのかと思ったが、樹の葉は青々と茂るものだから、不思議に思っていた。

ある時、私は樹の幹を叩きながら、「実が成らない柿の木なんて、じゃまだから、切ってしまおうか。それがイヤなら、実をつけなさい」と叱った。こんなことを10回もしただろうか。

ところが、その年から実をつけだしたのだ。驚いたのだが、私の脅しが効いたわけではないだろう。3年間、体力をつけていたのかどうかは知らないが、秋になると、柿は赤く熟れはじめた。

柿の木は、とても賢い木なのだ。たくさんの小さな実をつけると、自然に適当な数になるまで落としていく。一人前にヘタをつけた青い小さな小指の先ほどの柿が、木の下を埋め尽くす。上を見上げると、葉っぱばかりのように見えるものだから、「ここまで落としてしまうの?」と、がっかりするのだが、柿の実が大きくなってくると、「ああ、かなり残っていたらしい」と口元が緩む。今年も柿が口に入るなあと思うからで、一つも無いとなると、その年は、柿は口には入らないのだ。おかしなもので、柿の木が2本もあって、実がならないのなら、食べずにおこう、買ってまでは食べないよ、という根性?なのだ。何とも言い難いのだが、我が家の柿の木に、遠慮しているのか、操をたてているのか、ケチなのか、よく解らないのだが、買う気にはならない。むろん柿は大好きなのだが……。

自然栽培といえば聞こえがいいが、ほったらかし。消毒も摘花も摘果もせず、伸び放題の枝なので高く繁り、上の方は、実が成っても、鳥の餌なのだが、鳥だけではない。柿の好きな方には、お裾わけもするし、柿をちぎり放題に持ち帰ってもらうこともする。家族だけでは、そんなに食べられるものではない。

熟れすぎた柿が、今にも落ちて来そうになると、鳥たちも競って熟柿を啄みにくる。そしてぼたぼたと落ちてくる。落ちたらもうこの世の終わりだ。口には入らない。まるで不格好に果てている。この柿がまた特別美味しいのだ。熟柿といって、とろーりと舌の上でとろけてしまう。だから熟柿をみつけると、狙われる前に、落ちてくる前に手に入れなくてはならない。そのためにも、毎日庭に出て樹を見上げるのが日課となる。

熟柿で思い出すが、【熟】というのは魅力あることばである。熟年、なんていうのもいい。人間、熟してくると、若者など足元にも及ばぬ魅力が発散してくるものだ。といっても、柿と同様、年齢だけは熟年だが、中身はもうすでに朽ちかけている、というのでは魅力などあるはずがない。

もう熟年もすぎて朽ちる寸前の私だが、せめて美味しい吊るし柿のように、味のある人間になりたいものである。

2 件のコメント:

  1. 私は、桃と柿が大好きです。特に熟した柿です。知人や親戚で頂きます、とても嬉しですね。硬い時は熟すまで、しばらく置いてから食べます。
    渋柿も頂いて、吊るし柿にしてたべます。これも柔らかい時に食べると、とても美味しいです。
    お家に果物の木があると、実のなるのが楽しみですね。
    ごまめさんのご近所に住みたいで~す。
    ごまめさんは、実がいっぱい詰まっています。いろんな事を教えてくれています。ブログを見て楽しく過ごしています。

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    1. 毎年、カラスや鳥に食べさせています。何しろ、高いところの柿は、赤くなると、つついて鳥がたべていますからね。残りをいただいてます。
      柿は、消化が悪いのか、柿の季節になると、柿どころの町医者さんが、消化不良の患者さんが増えるとおっしゃっていました。kyamiさん、お腹こわさないようにおあがりくださいね。(笑)

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