2013年1月24日木曜日

時を忘れて その2


福島原発事故以後、電力会社、官僚、反原発派と交渉しながら、エネルギーの抱える課題解決を主導してきた仙谷由人氏が、その全てを語った本、【エネルギー・原子力・大転換】を、昨日の夕方から、一気に読んだものだから、頭の芯と目と鼻がおかしい。風邪を引いたのかも。ひょっとして、花粉症?とも思ったりしているのだが、いずれにしても、『トシを感じる』ことしきりである。

特に急いだわけではないのだが、引きこまれて読んでしまった、というのが本音である。面白かったのだ。私のまつたく知らない世界、しかも、日本の一流の頭脳といわれる方々の、駆け引きや、問題解決のための、紆余曲折、ここまで考えねば、問題は解決できないのか、ということをいろいろと知らされる驚き、ま、難しくて、よく解らないことがあっても、先へ先へと読んでしまう、という本だった。

よく、「仙谷先生のお話は、いいことおっしゃっても難しい」という方たちもいるのだが、『難しい』内容ほど、私たちが噛みしめなければならないことだろう。

事故以来、感情的になった国民は、現状を知らぬままに、原発反対即刻停止と、声を張り上げた。仙谷さんは言う。「政治家は、現実的な政策をつくり出す責任がある。口でかっこいいことを言えば、すぐ賛同は得られるが、それは、政策論ではなく、運動論だ。中長期的な目標を立て、原発を、自然エネルギーや、再生可能エネルギーに置き換えていく戦略と、具体的な工程表なしに、脱原発をいくら唱えても、政治は出来ない。遠望する眼差しをもちつつ、実際に出来ることから改革していくのが政治である」と。

電気が不足すれば、こういうことになる、ということは、市民感覚では、よくはわからないのだ。ちょっとエアコンの温度を高めに設定したらすむことではないのだ。火力発電が、どれほど会社を苦しめ、従業員を苦しめているか、一般家庭をしめつけるか、そういうことは、きっちりと数字でしめされても、なかなか分からないのだ。

原発稼働も、安全あっての稼働は無論なのだが、会社の思惑、銀行の思惑、各議員の思惑、そんな複雑怪奇の中で、チーム仙谷が、東電に挑むのだが、「原発で泥を被る覚悟」で、何とか課題を解決してきた仙谷さんの努力は、仙谷贔屓でなくても、さすがだと思わざるをえないだろう。やはり、彼の目は、総合的に物事を見る目があり、優れた直観力と、だれにも媚びない姿勢、すばらしい人脈、全てを出し切った激動の1年6カ月だったことがよく解った。

元を正せば、福島の事故は、自民党時代からのエネルギー対策の矛盾が破裂した大惨事なのだ。後を引き受けた民主党が、どれだけ苦労をしたか、詫びを言うどころか、民主党のやることを批判ばかりしてきた自民党を、私は今も許せないと思っている。

私の舌足らずの感想などより、本を読んでいただくのが一番いいと思う。

最後には、これからの、電力供給システム改革私案も載せている。専門家でない私らには、分からなくても、読むだけでもいいと思う。

国内だけではなく、アジアの国々への熱い視線も含めて、これからの日本の指導者にならねばならない人材が、政治の第一線から身を引かされたことが、県民として、本当に残念無念である。

 

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