2013年1月16日水曜日

豊かな人生


昨年の台風で、ぼろぼろになってしまった庭の辛夷の樹。幹は割れて半分以下になり、枝葉はわずかになってしまったのですが、春を待つ花芽が膨らんでいます。身体はぼろぼろになっていても、咲かすものがある、ということに、感動しています。

人間も、そうした人たちがいらっしゃるのを、最近よく見聞きします。

有名な学者さんではないけれど、市井のお婆さんが、90歳が過ぎて、色々と活躍している方もたくさんおられるようです。そうしたことを見聞きするたびに、心を動かされます。

有名な日野原先生は、75歳から100歳まで、ゆるやかに老いていくというのが理想で、そのために大切なのは、音楽であったり、美術といったアート、とおっしゃいます。そして豊かな人生に、友人は欠くことができませんと。

おかげさまで、私には友人はたくさんいて、ありがたいことと感謝しています。が、私は、音楽にも美術にも、才能もなく、分かるわけではありません。音楽も、大好きですが、本当の意味での鑑賞力などありませんから、ただ「いいなあ」と気分がよくなるだけですし、美術や書にいたっては、そのすばらしさは、まったくと言っていいほど分かりません。でも、聴きたい、観たいという気持ちだけはあるので、その機会があれば、いそいそと出かけます。

私は、それでいいと思っています。TVから流れるクラシックを聴きながら、何という曲かも分からなくても、心がとても晴れやかになったり、感動したり出来ることに、満足できるのです。

こんな私ですから、2年前の年末に聴いた【サントリー大ホールでのN響の第九】は、100%素晴らしく、忘れられない感動でした。

音楽がよく分からなくても、耳が確かでなくても、感動はできるものなんですね。

豊かに暮らす、豊かな人生というのは、私たちの手のとどくところに、いっぱいある、ということだと思っています。

 

2 件のコメント:

  1. 音楽に絵に感動するという事は即ち分かるという事なんでしょうね。ごまめさんは音楽はよくお分かりになる筈、血筋は争えませんからねぇ。

    それに比べて私は、ほんとに分からない。寂しいし、不便です。
    ルノアールだ、ゴッホだ、と短歌を作って直せと仰る。私は分らない。困ります。どうにもならないものでしょうか。

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    1. 誤解です。私の血筋ではありません。音楽的才能があるのは、夫と、嫁です。(笑)

      絵画のもつ力というものは、分からなくてもあるものなんでしょうね。
      ゴッホの部屋から出て、隣の部屋の○○講座展の絵の前に立つと、もう雰囲気が違う。迫ってくるものがない。(笑) 大家と素人の区別くらい分かる。(笑)

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