2013年1月12日土曜日

財産


Mさんから、電話があった。

「昔、持っていた財産がパーになってしまったことがあつたよね。何だかしらないけど、またインフレでお金の値打がなくなるのと違うの?」と心配している。TVを観ていて、そんなことを思ったらしい。

私も、お金の値打が無くなって、家が貧乏のどん底になった経験がある。

父は、コツコツとお金を貯めて、将来は故郷に帰り、楽隠居で好きな大工仕事や釣りをしながら、のんびりと利息で暮そうと思っていたのだが、そんな預貯金が、戦後のインフレで紙屑みたいに値打ちがなくなってしまったのだ。

そうなると、楽隠居どころではない。生活費を稼ぐために、父も母も真っ黒になって働いた。

私は、女学校を出てからも、師範学校という授業料のいらない学校へ進学したのだが、生活費だけは毎月3000円は必要だったので、家からもらっていた。そのたびに、「この3000円は、昔なら千円普請いうて、家が何軒も建つだけの値打のある時に貯めたお金だから、大事に使うように」というようなことを、母に言われながら手にしたものだ。当時、3000円で、何が買えるかというと、木綿の布地が2メートルほどだった。水玉模様のギャザースカート1枚の布地代なのだ。

我が家の場合は、将来は故郷へ帰るということで、土地などの物件は、買ってはいなかったのも、貧乏の原因なのだろうが、それでも愚痴も言わず、国を恨むでもなく、父母は黙々と働き通したのだから、偉いなあと思う。

父の一生を振り返ってみると、真面目に仕事をし、お国のために戦地で戦い、戦後は全財産を失いながらも、必死に家族を養い、生きることに精一杯の人生だった。そんな父をみていると、人間は、悲しみや恨みをしっかり味わってこそ、人生は濃厚になる、と思えるのだ。

財産は、お金や物ばかりではないことは、よく分かっていても、そうした財産の有無で泣く人たちもたくさんおられる。失敗であれ何であれ、経験したことは全て財産になるのが人生だと思うことができれば、過去の失敗なんてお布施のようなものだろう。

昔のように、聖徳太子1枚では何も買えないような時代は、まずこないだろう。そんな時代になる前に、国民は黙ってはいないはず。そこが、中国などと違う国だ。まだまだ日本は、いい国だと思う。

 

 

 

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