2013年7月2日火曜日

本物


スポーツは、「結果がすべて」で、いくらバットをカッコ良く振っても、技術がうまくても、本番で打てなければ野球選手としては、専門家とは言えない。

政治の世界だって同じで、いくら、よいことを並べられても、結果がよくなければ、それは、やるべきことをやっていない、ということと同じである。

プロの政治家なら、結果が出せないようなことでは、プロとは言えないし、自分のことばで、政治が語れなくては、政治家失格だろう。国民は、どういう人を選ぶかは、人任せに、あるいは風まかせでは、本物の政治家は選べない。

国民が政治に求めているのは、「国民生活の重視」である。国民の幸せを考えてくれる政治。こうした姿勢が私たちに見えないかぎり、参議院選挙で何を訴えても、国民の心には響かないと思う。

 そういう点からみてみると、過去の民主党政治の3年あまりは、「国民の生活重視」の政治をしようと、努力をしていた姿勢が今も記憶に残っている。事実、コンクリートから人へ、というスローガンの通り、国民の中でも、子育て中の人達や、勉強したい人達に、少ない予算の中から、色々と援助していた。
野党だつた自民党に、「ばらまきだ」とうるさく避難されていた子ども手当なども、今は自民党も、参議院選を考えてか、名を変え、縮小して、民主のしてきたことを引き継いでしているようだが、選挙がすめば、どうなることか分からない。何しろ、「ばらまき」とさけんでいたのだから。
医療にしても、民主党の努力によって、改革がなされて、救急病院をたらいまわしされるようなこともほとんどなくなったし、医者不足も、解消されつつあった。

政治は、「結果」が全てだ。安倍政権は、やはり国民の生活よりも、「政局優先」の政治の姿勢だと、つくづく思う。苦しむ人が増えることは、あってはならないのだ。「やるべきことはきちんとやる」ということが私たちには感じとれない。
はたして、プロの政治家としての「政治力」をもつ議員が、どれだけいるのか、疑問に思う。

先日、徳島県参議院選挙候補者が全員集まっての、公開討論会があった。コーディネーターは大学の教授で評論家。残念ながら、私は、出掛けることができなかったが、事実上は、自民と民主の一騎打ちといわれる選挙戦だ。
行った方に聞いたところ、まつたく顔をあげないで、書いたものを読むばかりの候補者と、はじめから終わりまで、真正面に向いて、質問に応じたり、意見をのべる候補者だったとか。この熱意というか、政治力の違いが、票につながるのか、つながらないのか、何とも言えないが、どうか県民が、本物の政治家を選ぶという姿勢を、一票にたくしてほしいとつくづく思う。

2 件のコメント:

  1. いい人を選ぶのは国民の責任でしょうけど、これがまたとても難しい。言葉の真贋や手腕はなかなか分かりませんし、どうしても甘い言葉に引っかかってしまいます。政治家もそれを知ってますから選挙の時は耳に快い事しか仰いません。

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  2. そういうことですね。
    立候補者に、本心の分かる【試験制度導入】提案したい。(笑)

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