2013年7月5日金曜日

叩く


最近の子は、親に叩かれたことはほとんどないと思うが、私の子供のころは、親はよく子を叩いたり、お灸をすえたものだ。

子どもの頃の私は、ひょろりと痩せた子で、気の弱い女の児だった。だから、たいした悪戯はしなかったように思う。何しろ随分昔のことなので、はっきりとは憶えていない。

とはいうものの、今も色あせぬまま、思い出の引き出しにたたみこんであるのも、いくつかある。

ここまで書いてきてふと手が止まった。私が今書こうとしている思い出話は、以前書いたのではないかな?と。もう、460ものことを書いたので、何を書いたものやら、思い出せないのだ。()

それを調べるのは、これまた容易ではない。

ま、いいか。私が忘れているのだから、読んでくださった方も、忘れているはずだよね。ふふふっ。

北海道に住んでいた頃で、私と二つ違いの妹の二人姉妹の時代だったから、多分小学生にもなっていなかったろう。いつものように、家の中で妹とかくれんぼをしていたときのこと。

ちょうどからだが入ってしまうほどの小豆の少し入った木箱を見付けた私は、その中に隠れ、箱の中に入っていた小豆を両耳の穴に詰めて、耳の奥のおかしな感触を楽しんだ。小豆の産地なので、よくぜんざいや餡子を炊くので、一度にたくさん買っておくのか、木箱は、私がくの字になって入れるほどの箱だった。

箱から出てきたときは、耳や頭が変な感じで、おまけに耳が痛かった。それでもはじめのうちは我慢ができたが、夕方になるとひどく痛みだし、母に事の次第を話したところ、頭を叩かれた。多分すぐ医者に連れて行かれたにちがいないが、その方の記憶はまったくない。今の親なら、叩く前に、急いで医者に走るだろう。「痛い? 聞こえる?」と心配しながら。()

この話は、これで終わりにならなかった。それから数日して、今度は妹が小豆をおへそに入れようとした。なかなか入らなくて汚い手でいじくったらしい。おへそは細菌で赤く腫れ上がり、それもまた医者のお世話になった。

妹は変わった子で、薬と医者が大好きだったものだから、多分小豆をおへそに入れたら、お医者に連れてってもらえると思ったのだろう。妹も私同様、頭を叩かれ、おまけに私までこづかれた。姉が馬鹿なことをしたから妹が真似た、ということなのだが、この時は、何となく「母さんは、ママハハかもしれない」なんて思ったから、かなり、こたえたのだろう。

自分の耳の治療の記憶はほとんどないのに、妹がおへその手当てを受けている光景は、はっきりと覚えている。おへその中に、ピンセットでガーゼを詰め込まれていたこと、赤チンでおへそのまわりを染められていたのが、おかしくてたまらなかったこと、泣くどころか、私と目が合うと、にこっと笑ったことなど、鮮明に思い出す。

ちなみに妹は、中学生の頃から、大きくなったら、看護婦になりたいと言い出して、祖母にひどく反対されてなれなかった。その理由は、「病気の人が集まるところで働いたら、病気になる」ということだった。今思うとおかしな話だが、そんなことで腰を折った妹も、意気地がなかったのだろう。()

今は懐かしい思い出の一つになっている。

 

 

2 件のコメント:

  1. ごまめさん。ご心配なく。私は初めて聞くお話ですよ。それとも忘れているのかな?

    とても子供らしい可愛いお話。お互いにそんな時代があったんですね。

    私は親に叩かれたりお灸を据えられたりすることなく育ちました。学校で1度だけ訳もなく頬っぺたを叩かれて吹っ飛んだことがあります。それも担任ではなく関係のない先生にです。

    戦争で体罰全盛の頃でしたが、それにしても、あれは訳が分からず、今でも忘れられません。

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  2. 叱られる原因の1番は、決められた時間に、かえってこないことだったと思います。遊びに熱中していて、暗くなるまで気が付かない。急いで帰ったら、親が鬼のような顔をしてる。(笑)

    妹が遅くかえってきて、母親に、灸をすえられていた光景が、今も思い出せます。泣いてあばれる妹を見ながら、私までどきどきして、気持ちは泣きそうになっているのに、笑ってごまかしたところ、「妹がセッカンされているのに、笑うヤツがあるか」と、怒られてしまいました。
    あのときは、ほんとに親を憎みましたね。
    今なら、児童虐待?と思われそう。(笑)

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