2013年10月10日木曜日

読書


本は、トシをとっても私なりに読んでいると思うのだが、最近は小さな字の本などを読むと、すぐに目が疲れてきて長続きしない。もともと、読書家ではないので、それほどの本は読んではいないし、片寄りがあって、あまり感心する読み方ではないのだが、それでも読みたい本はネットで探して買っている。

面白い本に出合うと読みふけっていた時代があったが、それが出来なくなった。何となく寂しいものだ。でもしかたがない。無理は出来ない身体になっているのだから。

私が子どもの頃、本に興味を抱きはじめたのは、幼年クラブとか、少女クラブといった雑誌類だった。斜め向かいにあった小さな本屋の店先に行って、今月号はまだ入っていないかと目を光らせていたものだ。
毎月、買ってもらう雑誌は、読み終えると、友達に貸してあげる。その友達は、別の雑誌を貸してくれる。3人ほどが、そうして読みあっていたので、けっこう楽しめた。

家庭環境は今から思うと、活字には理解があったようだ。印刷屋だったので、というか、母からは、「いつまでも雑誌ばかり読まないで、いい本を読みなさい」と言われた。でも、家にはそんないい本があった記憶はない。母も【主婦の友】のような雑誌を読んでいた。

ただ、私が女学生になった頃、母が「あんたは作文が下手だねえ。本を読まないからだよ。母さんがあんたのトシには、徳冨蘆花などの本を読んでいたものだわ。【自然と人生】のような名文は暗記した」と、自慢して私の前で自然と人生の一節を聞かせてくれた。

私は、とても晩熟(おくて)の子だったので、何の興味もわかなかったのを憶えている。
母は、多分女学生の頃は、文学少女だったのだろう。しかし、長くは続かなかったようだ。私の知っている母は、そんな風には見えなかった。商売や子育てにそんなことは吹っ飛んでしまったのだろう。

私が随筆やエッセーに興味をもったり、下手なりに書きたいと思うようになったのは、多分父に似てきたためと思っていた。

父は、母と母の母親と二人が、小間物屋をしているところに、親戚の世話で養子に来た。
そして自分の貯めていたお金を元手に、小さな印刷屋を始めたのだ。それが、養子にくる父の条件だったらしい。

父は、ちょっとしたエッセーなど文章を書くのが好きで、書いては兄弟や親に送ったり、A3の用紙に兄弟たちの便りや、自分の文章などを書いたミニ新聞のようなものを創って送っていた。

何となく顔も父親に似ていた私なので、そう思い込んでいたのだが、最近の私の顔は、自分でも母親に似てきたと思うので、母親にもちょっぴり似ているのかもしれない。(笑)

ま、どちらに似ても、たいしたことはない。でも、両親あっての私と、感謝の気持ちは変わりない。
母83歳、父86歳。あまり孝行が出きぬままに亡くしてしまったので、かなり悔いが残っている。

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