2013年10月1日火曜日

恩師 その2


続きを書きます。

朝から雨が降っている。昨夜ホテルから、札幌のA先生に電話。「お忘れかもしれませんが、昔、小学生12年生のときお世話になった○○と申す者ですが……」と言うが早いか、「知ってる知ってる、○ちゃんだろう?」と懐かしい先生の声だ。大感激。大喜びの先生に、帯広から乗る列車の時刻をお知らせすると、宿をとってあるなら、すぐキャンセルせよとのこと。宿はまだだったので、お言葉に甘えることにする。

朝早く、ホテルに梅子おばさんたちが、お別れに来てくださった。おばさんとは、もうこれが最後かもしれないと思うと、泣けてしまった。余談になるが、梅子さんも、キミちゃんも、そのあと、5年ほどの間に亡くなられてしまった。本当に最後のお別れとなったのだ。

雨が次第に激しくなる中、帯広を立った。そのうち雨は更に豪雨となり、滝川から列車が動かなくなってしまった。困っていたのだが、旅は道ずれ世は情け。見知らぬ旅の者4人が、タクシー相乗りで札幌駅まで飛ばす。札幌に着くころは、雨も小雨になっていてホッ。

再びタクシーでA先生の住所まで走った。電話ボックスを見つけて先生に電話。ボックスのすぐそばがお宅だった。傘をさした先生が、にこにこしながら歩いて来なさる。見憶えのあるお顔だが、青年だった先生と、もうご老人の先生の違いは大きかった。先生だって驚いたに違いない。おあいこだ(笑)

N先生同様、奥様とお二人がとても喜んでくださった。こんな嬉しいことはない。

お隣に住む長男さんのお嫁さんまで接待してくださる。

話はつきないので、是非2泊していくようにとのこと。ゆっくりと札幌見物もして帰れとおっしゃるのだ。ご遠慮申し上げても熱心におっしゃってくださるものだから、とうとうお言葉に甘えることにする。

先生にお世話になった頃は小さかったが、色々なことをはっきりと憶えている。休み時間は、必ず子どもたちと遊んでくださった。一人ずつ並んで、先生に【高い高い】をしてもらった。先生の両手の掌に、手を重ねて直立不動のままでいると、「よっ」と言いながら、先生が持ち上げてくださるのだ。また、先生の両腕に二人がぶら下がって、ぐるぐる回してもらったり、独りずつ、両手を持って、回転ブランコのようにくるくる回してもらった。楽しかったなあ……。私は教師になって、はじめてA先生が、どれだけ私たちを大切にしてくださったかが分かった。休み時間、子どもたちと遊んでやることよりも、運動場へ追い出して、ほっとすることが多かった。

人見知りする私は、なかなか大勢の中に割りこめないでいても、決して忘れられたりはせず、「まだの子、はいおいで」と言って、手を差し伸べてくださったり、学級写真をとるときは、先生の周りには、父親が戦地に出征している子を座らせて、喜ばせてくださったり……。

先生の優しさは、お爺さんになっても変わってはいなかった。

翌日の札幌の観光は、まるで子どもに教えるように、説明してくださった。お疲れになったことだろう。

帰る日の朝、昨夜からの風雨で交通機関が乱れていたらしく、朝早くから、先生は飛行場に10回以上も電話をかけ続けられて、心配してくださっていた。そしてようやく、飛行機が出る、という情報を聞き出していて、私の顔をみるなり、「よかったよ、○ちゃん。飛行機出るからね。安心してゆっくり帰るといい」と言ってくださったのだ。

言い忘れたが、私は飛行機大嫌い人間なので、どこまでも列車か車での旅をしている。しかし、このときばかりは、先生のせっかくのご厚意を無にしたくはなかった。そして生まれて初めて、飛行機に乗る決心をしたのだ。

空港まで送ってくださった先生とお別れするときは、顔がくしゃくしゃになってしまった。きっと、お元気なうちに、もう一度お会いしようと決心しつつ、飛行機に乗り込んだ。

教師時代、低学年を受け持った時は、A先生をお手本に、高学年の時は、N先生をお手本にしたいと思っていながら、先生の足元にも及ばぬ教師だったが、いい先生に巡り合ったことは、心から幸せだったと感謝しています。

 

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