2013年10月30日水曜日

Mちゃん


先日、小学校の時の親友、Mちゃんから、美味しいお林檎が送られてきた。Mちゃんとは、年に2回ほど、何らかの品物が行き来している。お礼の電話の折、「今度は何がいい?」と聞くと、「そうねえ。さつま芋が美味しかったので、さつま芋いただくわ」とのことだったので、私は、鳴門金時の美味しそうなのと、蓮根を送った。今日、そのお礼の電話があった。「まあ、驚いた。土のついたあんなに長い蓮根など、見たことも無かったわ」と喜んでもらった。

Mちゃんと別れたのは、終戦前の女学校二年生の夏だった。私が北海道の帯広から徳島県へ転居した時である。

お互い終戦前後のどさくさに、便りどころではなくなってしまい、そのままそれぞれの人生を歩いてしまった。気がついた時は、もう手遅れで、生きているものやら、死んだものやら、まったく手掛かりもつかめなかったのだ。

始めて帯広を訪れたとき、Mちゃんのむかしの家のあたりをぐるっと回ってみたが、何の手がかりもなかった。恩師のN先生にお願いしてあったところ、住所か分かったという報せのはがきを頂いたときは、子どものように胸にはがきを抱え込んで喜んだのを今も忘れていない。遠い心の洞に埋めてある宝物の箱の鍵を見つけた思いだった。

とるものもとりあえず、電話のダイヤルをまわした。

「Hちゃん? 本当にHちゃんなの? 生きてたのね。よかったわあ、もう生きてるうちには逢えないと諦めていたのに‥‥」

Mちゃんの声も、驚きと嬉しさで高ぶっている。

札幌と電話で半時間、それもあっという間だった。四十何年という長い空白が、お互いの友情を、新鮮なままふくらませていたのも嬉しかった。

そしてまもなく、「あなたの故郷、十勝の小豆で作ったお菓子ですよ。ほら、千秋庵の。子供の頃を思い出して食べてね。秋には男爵芋送るわね。戦争中よく二人で食べたっけ‥‥。懐かしく思うものあったら遠慮なく言ってちょうだい。私はあなたのことを身内と思っているから送りたいの‥‥。ああ楽しみが増えたわ」

子どもの頃、千秋庵のお菓子は、滅多に子どもの口には入らなかった。来客のあったとき、お相伴にあずかるくらいのものだった。それだけに、千秋庵のウインドから覗き見した、心ときめくお菓子の色香は、故郷の風景ほどに懐かしい。夢見心地で千秋庵を頬ばったっけ。

私の思いもMちゃんと同じである。徳島の名物はみんな送りたい。そして何よりも、今すぐにでも飛んで行きたい思いだった。

その後、Mちゃんを札幌に尋ねたり、Mちゃんご夫婦が、四国の旅の途中、我が家に寄ってくれたりして、お互いの友情を深めてきた。

最近は、お互い電話で「元気でいなくちゃね。したいこと、続けていこうね」と、励まし合っている。

彼女は、絵を描き続けている。彼女の描いた絵が、私の手元の壁に、かかっている。その下で私は下手な文章を書き続けている。(^^)

 

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