2013年8月9日金曜日

手仕事


TVで、細かな手仕事をしている職人さんが映されていることがよくある。見るたびに、その熟練した様子におどろかされるのだが、不器用な私は、ただただ感心させられる。

ある作家が、今は、パソコンで文章を書く人が多く、手書きで書く人は、少なくなっていると嘆いておられた。

よくある有名小説家の文学館などで、作品の展示とともに、本人の手書きの生の原稿などが展示されていて、興味深く見るのだが、もうこれからの作家は、こんなことは、めずらしくなるのだろうか。万年筆の太字を荒々しく消して、他の言葉に入れ替えてあったりすると、いかにもその作家の仕事の姿勢までも想像されて、面白いものだが……。

よく、手書きで書く作家は、「ものを書くというのは、手で字を書く手作業で、手仕事なのだ、頭で書いて考えながらいるのではない。字を書くことによって、考えているのだ。だから、手を動かさずに文を考えることは出来ない」とおっしゃる。パソコンなど使うと、決まり切った挨拶状のような文章しか書けない、ということらしい。

何となく、一理あるように思うのだが、これは、私の経験から言うと、慣れない機械の前では、手を動かしても字を出すことに頭の中の半分は使われているので、無理のないことなのだ。けれども、少し慣れてくると、キーボードを打ちながらも、文章は書けるようになるものだ。作家先生は、そうなるまで、時間がもったいなくて、手書きになるのだろう。ちなみに、作家になる前から、パソコンを使っていたような、若い作家の方たちは、手書きよりも、ずっと書きやすいと仰るに違いない。

私のように、雑文ばかり書いている者は、手も頭もさほど使うわけではないので、パソコンの方が、文章は書きやすい。間違いはすぐ直すことが出来るし、文章の構成もやりやすい。原稿用紙なら、書いては破り、また書いては破り、といったようなことをしなくてすむのだ。

でも、手書きの原稿用紙を、紙縒(こ より)で綴じた原稿など、何となく趣があっていいなあと思う。

こんなこと書くと、紙縒ってなに?なんて、若い人に言われそうだし、紙縒など作れない人も多いに違いない。昔は、私のような不器用者でも、子どもの頃から紙縒は作ったものだ。

パソコンなどが出来、いい時代になったのか、あるいはよくない時代になったのか……。

2 件のコメント:

  1. 紙縒りを作れる人などもういないのでは・・・時代が変われば仕事の仕方も変わります。

    私はただでさえ字が下手なのに、頸椎症を患って以来、手が自由に動かなくなり、ボールペンで原稿用紙をきっちり埋めることが出来ません。日本人の癖に折り紙も出来なければ、縫い物もボタン附けがせいぜいです。で、パソコンを愛用しています。

    足が使えず、手が使えず、もう廃人ですね。手仕事、足仕事みんな駄目、アアー。(溜息)

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    1. 足や手が不自由なのはだれしもがそうなっていくでしょう。
      80を過ぎたら、坂道を転がり降りるごとくに老化現象が押し寄せてくるのが実感できます。

      mimiさんは、頭が立派に使えてますから、たいしたものです。
      私はそれも頼りない。

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