2013年8月6日火曜日

原爆の日


今から68年前の1945年(昭和20年)8月6日。世界初の原子爆弾が広島市に投下され、一瞬のうちに街が破壊され、罪のない市民約8万人が即死した、信じられないような悲劇の日である。

こんな爆弾を考える者がいたことも悲しいが、それを実際に投下させた者がいたことも許せない。人道的に使ってはならない、というのは、まともな人間なら常識だろう。常識など、戦争には関係ないらしい。

原爆を作った以上は、これを投下したら、どんな状況になるかは、実験してみなければ分からぬこと。そんな実験を日本の空の下でやったのだ。
さらに9日に長崎市にも投下され、それ以後も被爆による死者は絶えない。

人間とは、地球の生物の中で、一番野蛮な生き物なのか? いや、そうは思いたくない。我々のまわりの人間は、そんなことをするような人間などいない。戦争というバカげたことをしているうちに、そうした野蛮人になる人たちが、むくむくと頭をもたげてくるのだろう。戦争が、人間を変えてしまうのだ。

戦争を体験している私等は、終戦当時、1か月もすると、負けたことの悲しさは、平和の有難さにかき消されていった。これからは、平和国家なのだ、戦争は放棄したのだと喜んだ。

大正生まれ、昭和一桁まれの者は、そんな思いを忘れるはずはない。どんなことがあっても、戦争はしない国。そして、武器を持たない国を望んでいた。

だが、時代は変わってきた。始めは警察予備隊だったものが、出世魚のように、名を変えるたびに大きくなり、今は、軍隊と代りは無いものになっている自衛隊。

自衛隊の働きには頭の下がるものがある。しかし、軍隊というのは、暴力装置なのだ。以前、仙谷由人議員が、自衛隊を「暴力装置」と言って、皆に叩かれたが、自衛隊が、軍隊と同じ、戦争の出来る軍隊と同じという意味で言っただけの話である。それを、まるで自衛隊は暴力団といったかのように騒がれた。軍隊=暴力装置というのは、以前から、東京大学の教授や学者でも、口にしている言葉であって、戦争というのは、暴力と暴力のぶつかり合いにほかならない。

話が逸れたが、とにかく、平和は私たちの幸せの原点なのだ。原爆の日を期に、あらためて戦争の無い社会を願うものである。

 

4 件のコメント:

  1. 何かを発明するという事は偉い事なんでしょうが、その何かが問題。同じような事が今もあちこちで行われているように思います。

    例えば、身近なところで介護ロボット。あれどう思います。人件費は節約できるでしょうが、自分が年寄りになった時、ロボットに物を食べさせてもらったり、お風呂に入れて貰ったりしたいですか???

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    1. ロボットにお風呂にねえ……、いやいやして頂くよりは、ロボットがましかも。(笑)

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  2. 何かを発明することは偉い事なんでしょうが、その何かが問題。あれば使いたいのが人間です。使った結果どうなるかまでは考えられないんでしょうか。

    私は、今、臓器移植と介護ロボットに関心を持っています。これらの技術は人間を幸せにすると思いますか。私は後世後悔するような気がして仕方がありません。

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    1. 臓器移植で助かる若い方、そういう人たちにとっては、ひつようかもしれませんね。でも、私は、今更、臓器移植などはごめんです。

      あまりにも学問が進み過ぎて、何でも可能になることは、怖いですね。自然が一番いいのかもしれませんね。

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