今日は、義兄の納骨の日でした。もう、親しい方の死であっても、ある程度のお年になっておられたら、苦しまず、安らかに旅立たれたのであれば、いい着地をなさった、と思えるようになりました。
義兄は、一生懸命に働き、退職後も、精一杯地域のために働いて病に倒れました。素晴らしい一生だつたと思います。
人間は、【死】という最後を迎えるために、生きているようなもので、その時、悔いのない、いい人生だったと思えるように、日頃からの心がけが大切と思っています。
ま、心がけと言いましても、私には難しいことはできませんが、その時その時を一生懸命に生きる、ということでしょうか。もちろん、人生はいいことばかりではありませんから、愛するときも、悔いる時も、悲しむときも、感動するときも、責任を果たすときも、遊ぶときも、一生懸命に生きていれば、悔いはないと思うのです。
人間は、普通は決して急に老いるわけではありません。ゆるやかに老いていきますから、下り坂にさしかかる頃からは、【死】ということを考えて、生きていくことがいいように思います。そうすることによって、死に対する考え方も、だんだんと前向きになってくるように思います。
私もまだまだ凡人の域を出ることもできませんし、死ぬまで凡人のままでいいと思っておりますが、死だけは、安らかな思いで迎えたいと思っております。無理かな? (笑)
安らかな死を迎えたい、ある年齢に達した人ならだれでも思う事でしょう。私も勿論そうありたいです。でも、これだけは神様の思し召し次第ですね。終わりよければすべてよし。
返信削除生前の不幸は帳消しされるでしょう。
お兄様は精一杯生きられた。そして、安らかに旅立たれた。お幸せな方ですね。残されたものは静かにお見送りするだけです。
それにしても、ごまめさん、次々とご多忙ですね。ご無理はなさらないでね。
このトシまで行かされてきましたので、何とかジタバタせずに、逝きたいものです。
削除笑って死ねる薬があったらいいのにね。(笑)