2013年11月24日日曜日

旅立ちの日


今日は、義兄の納骨の日でした。もう、親しい方の死であっても、ある程度のお年になっておられたら、苦しまず、安らかに旅立たれたのであれば、いい着地をなさった、と思えるようになりました。

義兄は、一生懸命に働き、退職後も、精一杯地域のために働いて病に倒れました。素晴らしい一生だつたと思います。

人間は、【死】という最後を迎えるために、生きているようなもので、その時、悔いのない、いい人生だったと思えるように、日頃からの心がけが大切と思っています。

ま、心がけと言いましても、私には難しいことはできませんが、その時その時を一生懸命に生きる、ということでしょうか。もちろん、人生はいいことばかりではありませんから、愛するときも、悔いる時も、悲しむときも、感動するときも、責任を果たすときも、遊ぶときも、一生懸命に生きていれば、悔いはないと思うのです。

 

人間は、普通は決して急に老いるわけではありません。ゆるやかに老いていきますから、下り坂にさしかかる頃からは、【死】ということを考えて、生きていくことがいいように思います。そうすることによって、死に対する考え方も、だんだんと前向きになってくるように思います。

私もまだまだ凡人の域を出ることもできませんし、死ぬまで凡人のままでいいと思っておりますが、死だけは、安らかな思いで迎えたいと思っております。無理かな? ()

 

2 件のコメント:

  1. 安らかな死を迎えたい、ある年齢に達した人ならだれでも思う事でしょう。私も勿論そうありたいです。でも、これだけは神様の思し召し次第ですね。終わりよければすべてよし。
    生前の不幸は帳消しされるでしょう。

    お兄様は精一杯生きられた。そして、安らかに旅立たれた。お幸せな方ですね。残されたものは静かにお見送りするだけです。

    それにしても、ごまめさん、次々とご多忙ですね。ご無理はなさらないでね。

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    1. このトシまで行かされてきましたので、何とかジタバタせずに、逝きたいものです。
      笑って死ねる薬があったらいいのにね。(笑)

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