2012年3月12日月曜日

シニア演劇塾

平成21年の秋、地元新聞に、「『シニア演劇塾』が誕生。塾生を募集している」という記事が載った。

【浅香寿穂】というお方が、私財で稽古場を建てられ、シニアの劇団を作るということだった。浅香先生は、高等学校の校長を最後に退職されたのだが、若い時から、高校生の演劇の指導をなさったり、演劇評論を書かれておられたので、お名前はよく存じ上げていた。

70歳近くなられている先生が、青年のような夢を抱かれて、しかも、けっこうお忙しいにもかかわらず、シニアを相手に演劇塾を開かれるというロマンにまず感動した。わずかな月謝では、儲けどころではない。塾生になりたい、と思った。実は私め、舞台に立つつもりは毛頭なかったのだが、脚本に興味があった。

だが、シニアといっても、年齢制限があるやもしれない。当年79歳の誕生日が目の前に来ている大年増を迎え入れてくださるかどうか、門前払いということもあるやもしれない。体力、気力もそう長くは続くとは思えない。それでも手は、受話器を握ってしまった。

サバを読んでまで入れて頂くつもりはないので、正直に申し上げた。
「何歳でもけっこうですよ。長く生きてこられた方には、若い人には無いものが必ずあります。舞台に立っただけで、存在感がありますからね」
まあ何と嬉しいおことばか。「いえ、舞台には立つ勇気はありませんが、脚本の勉強が少ししたいと思いまして・・・」と申し上げながら、塾生の許可を頂いた。

第一回目。恐る恐る顔を出す。入塾試験があるわけではなく、申し込んだ方々は全員一期生。十数名の方々が集まっている。思った通り、私が最年長者だ。シニアでない方もまじっている。お仕事をなさりながら、週一度のお稽古に通われるのだから、演劇が、かなり好きな方らしい。感心なことだ。
『カサ・デ・マデーラ』(木の家)という稽古場は、木の香も新しい素朴で素敵な建物。中に入ると、山小屋を思い浮かべるような作りである。

発声練習や、台詞の言い回しなど、今までしたことのないことを学習するのは、けっこう楽しい。試験がないのもいい。いや、ひとりひとり言わされるのは、試験のようなものかもしれないが、失敗しても何をしても、皆で笑いあってやっているので、実に和やかな雰囲気である。
先生の主義というか、『楽しみながら学習していく』という雰囲気は、私のような劣等生でも、気分よく参加できる。

何カ月かたつうちに、こういう場に集まってくる人たちは、けっこう個性的であり、演劇に情熱をもっていて、熱心であることが分かってきた。志を同じくする人達の集まりは、暗黙のうちに打ち解けている。
そして先生のお人柄に魅かれて集まっている方も多いということ。浅香先生のフアンなのだ。

まだまだ先の話と思っていた初公演が、一年後に実現された。むろん、シニア問題をテーマにした演劇である。先生のご指導をあおぎながら、台本作りにも参加させていただき、とても勉強になった。それを観てくださったある町の団体から、お座敷がかかるということまであって、大いに張り切った。

また、その一年後の23年(昨年)の秋にも、シニア塾らしいテーマで第2回目の公演を終えた。
反省することは、多々ある。台詞のちょっとしたことが言いにくかったり、覚えにくかったりするのだ。
文学座や俳優座のような玄人芝居でないだけに、塾生の皆さんが、喜んで参加して頂ける作品ということにならねばならない。
しかし、小学生の学芸会とは違う。料金をいただいての公演であるだけに難しい。

あれやこれやと学んだことの多かった公演だが、浅香先生の演出のお力はすばらしい。ちょっとした動きの変化でモノになっていく。不出来な台本もカタになったというのが本当のところである。

ちなみに、第2回目の昨年は、私めも、ちょっと舞台に上がってしまった。上がらせられた、というべきか。切符を買ってくれた友人たちが、「あんたが出てこないのは寂しい」とかなんとか言うものだから……。

上ってみて分かったことは、家では100%覚えているはずの台詞も、皆で練習をはじめると口から出てこない。自分で書いた台詞が出てこないと言う事は、他人の書いた台詞が出てこないのは当たり前か…。本番前日まで台本が手放せない練習風景にやきもき。
それがどうだ。皆さん、当日になれば、何と堂々とやってのけるのだから、大したものだ。シニアだって、やれば何事も出来る、ということを宣伝しておこう。

それにしても、『演劇の公演』には、随分とお金がかかることを知った。大きな劇団には、舞台係も小道具、照明も、おられるが、小劇団はすべてお金のかかることである。小さな劇団同士が助けあってやっているのだが、それにしてもだ。皆が頑張って切符を売り、それで何とかやっていく。

そうした苦労も、決して無駄ではない。自分ひとりではなく、周りの方々の温かい支援があってこそなりたっているとが分かるのだ。皆さんに感謝である。

(こんな楽しみが、この歳がきて出来るなんて、思ってもみなかったことなので、書かしてもらいました)

4 件のコメント:

  1. あれ以来毎晩試みているのですが、どうしても、投稿できなかったんですよ。それが、今宵はどうした訳か出来ました。何も変わったことはしないのに、不思議です。

    ごまめさんぐらい生きることに情熱を燃やしていると、老いの方が逃げて行くんですね。でも、真似はちょっと出来ません。

    私は自然に老いて自然に死んでゆければ本望ですが、それがなかなか難しそうです。

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  2. mimiさん。私も、パソコンの不思議をよく体験します。5メートルも離れているパソコンが、ひとりでにスイッチが入ったり、ブログに書き込みたいのに、そのクリックするところが出てこなくて、夕方再びやってみると、すっと投稿できたり・・・。
    「生きることに情熱・・・」は、どうかしら。やってみたいことだけをする主義で、したらいいことをしているわけではないので・・・。

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  3. 今年の演し物は何ですか? 楽しみにしています。

    「やってみたいことをする」・・・ナルホド。「やってみたいこと」が沢山あるのは「若い」ってことね。
     古女サンを見ていると、若さは年齢じゃない、とつくずく思います。真似はできないけど、お手本にしたいです。

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  4. お六さま…昔から若さの定義は色々言われていますけど、やはり、心身共に若くなければ、本当の若さじゃないのよね。今朝も、腰が痛い。 雨上がりの朝、ちょっとばかり庭の草を抜いたら、何日も腰が痛い。私をお手本にしちゃだめね。いつ腰折れになるかわからない。
    健康でないと、気持ちが付いていけないのよね。

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