2012年3月8日木曜日

櫛の土産

私が子どものころは、今とは違って、おとなの女性のほとんどが、頭に櫛をさしていた。頭の丸みに添うように作られていて、髪飾りも兼ねたもので、近隣に住んでいたおばさんたちは、立ち話をしながらでも、しょっちゅう櫛に手をやって、気持ちよさそうにササッと頭を櫛で撫でていたのを思い出す。どこの小間物屋の店先にも、こうした櫛が並べられていたものだ。よく売れる品物の一つだったに違いない。

そういうわけで、櫛が道ばたに落ちていることなど、よくあることだった。が、落ちている櫛を拾うことは、まずなかった。「櫛は拾ったらいけないもの」と、家族に言い聞かされていたからだ。
 
でも、一度だけ拾ったことがある。小学2、3年の、たしかお正月だったと思う。私は、半月型で黒塗りの、きれいな櫛を拾って帰った。貝殻で模様が埋め込まれたもので、日本髪の頭に挿す飾り櫛である。それを祖母に嬉しげに見せたところ、「まあ、この子は正月早々縁起でもない。はやく捨てておいで。櫛は拾うもんでないっていつも言ってるだろう」と、いつになく厳しい声で叱られたので、再び外に走り出た。といっても、秘密の場所に埋めただけで、その二、三日あと、その櫛をこっそり掘りだしてきて、ままごと遊びなどに使ったような記憶がある。

その後私は、女の頭髪や櫛が、古今東西を通じて、女性の心や命などと深く関わる、多情多恨、怪しげなるもの、ということを、文学作品などから感じはじめたのだが、祖母に、「縁起でもない」と叱られたことと、重ねてみることはなかった。

櫛が「苦死」に通じて忌まれていた、と知ったのは何年か前のことで、旅の帰路、車中で読んだ文庫本の中に書かれてた。すぐ私の脳裏をよぎったのは、私のカバンの中に入れてある知人への土産のつげの櫛。そして、正月早々縁起でもない、と言って顔をしかめた祖母のことだった。櫛が「苦死」ということであれば、これほど縁起でもない拾いもの、贈り物はないのだが、櫛は軽くてかさ張らないこともあって、私はよくつげの櫛をお土産にしている。

音が通じている、というだけのことなら、櫛だけではない。正月につきものの獅子舞などは、死死となり、とんでもないことになってしまう。ところが現実は反対で、縁起のいい悪魔払いとなっている。おまけに、獅子に頭を咬んでもらうと頭が良くなる、などといって、泣く子の頭を無理やりお獅子に咬ませる親もいる。櫛だけが苦死と結びついているということは、やはり多情多恨といった情念の絡みつきがあったからだろうか。あるいは、ひとの肌にふれるもの、ということが原因なのだろうか。

さて、私のカバンの中の櫛だが、どうしたものかと、ちょっとばかり迷ったのだが、親しい方に櫛を贈るはなしは、昔から歌や物語にもよく出てくることで、どこの観光地の土産物屋にも、櫛は大きな顔をして店頭に並んでいる。(「櫛は苦死」などというのは、一部の善男善女の口承に過ぎず、今はもう、こうした口承も風化してしまった)ということにして、私は予定どおり、つげの櫛を知人に差し上げることにした。ま、風化したとはいうものの、お堅いお年寄りやご病人には、櫛の土産はやめておいた方が無難かもしれない。

これは蛇足の話になるが、怪しげなる黒髪、とは、むろん色はカラスのぬれ羽色、しかも水の底に沈んでも、玉藻となりて漾う丈なす髪、でなければならないわけで、はやりの茶髪や目刺し髪ではない。

こういう私は、怪しげなる黒髪とは程遠い腰折れの目刺し髪。もう色香も神秘も蚊帳の外であるので、どうでもいいわけだが、やはり私も女のはしくれ、大いに気にして、あれこれと髪染めやシャンプーの品を変えてみたりしている。「女百まで黒髪忘れず」ということであります。

2 件のコメント:

  1. 櫛が苦死に通じて縁起が悪いなんていうこと、今の今まで知りませんでした。そういわれてみると、古い櫛は持ち主の気持ちがこもっていて、それが怨念だったりすると、空恐ろしいような気がしますね。でも、新しい櫛はいいんじゃないですか?
    気にせずにプレゼントなさったらと思います。
     因みに私の所には祖母(明治25年生まれ)の櫛や笄、簪などが幾つかあります。
    モノはたいしたことないと思いますが、希少価値ということで将来、高値が付くかも知れないから、気易く放るな、と先日嫁に申し渡したところです。

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    1. つげの櫛の土産は、よくします。軽くてかさばらず。ただし、1回ぎりですけどね。(笑)
      昔の簪、大事に手入れしておくことをおすすめします。昔でも、かなり高価なものもあったようですよ。

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