2012年3月15日木曜日

蕗の薹

今朝もまだまだ寒い春だが、まばゆい春陽に目を細め、雑草園のような庭を気にしながら見ていると、花の蕾を重たそうに持ち上げた蕗の薹が目に付く。

冬がでんと居座っていた初春のころ、萌黄色の襟元をゆるめ、タガをはずした装いで、もっこり枯葉を持ち上げていた、あの愛敬のある姿からは、えらく成長したものだ。

こうなってしまうと、もう蕗の薹などという可愛げな名は似合わない。蕗のお母さんかな。このお母さんも、しばらくすると、すっかりお婆さんに変身する。これを俗に〝蕗のしゅうとめ〟と呼ぶらしい。だれの付けた呼び名かしらないが、いかにも妙を得ておもしろい。

お世辞にも美しいとは言えぬその蕗の姑をみて、いつも思い出すのが、
〝呆けてはならぬと思う蕗の薹〟後藤比奈夫
という俳句。歳時記に載っていた句である。みょうに心にしみ込む。

躰のあちこちから注意信号が発信されはじめたのを機に教職から足を引いたのが、五十五歳。職員室で机の整理をしているとき、銀行さんがいらしていて、「先生、辞めてもボケんといてくださいよ」というご挨拶をいただいた。私は笑って聞いたのだが、彼の去ったあと、「失礼な!なんということを」と、まわりの同僚が騒いでくれたのを思い出す。考えてみれば、そのとき、まだ私には、彼のことばを冗談と受け取る余裕があったというわけである。

それでも当時は、「やりたいことが出来るのもいいとこ十年だな……」と踏んでいた。その計算だと、もうとっくの昔に終っているはずだが、やりたいことがまだあるせいか、今も、「大病と事故さえなければもう少しは……」という気持ちのまま、今日の日を迎えている。

しかし、「もう少しは……」とはいうものの、これからの年月は、過去のそれとは、かなり質の違いが出てきそうだ。

「老人」ということばは、やっかいなものを抱えているわりには曖昧である。新年の暦を掛け替えるように、「明日から老人」という区切りのないことをいいことにして、無断でこそこそと、しかも気味の悪い生きもののように迫ってくる。

膝が痛いの疲れるの、などの肉体のガタは致し方ないとしても、精神のタガは弛めていないつもりでいた私だが、それがどうもあやしくなってきた。
その証拠に、生活の横糸に、モノ忘れという模様がしっかり織り込まれてしまっている。おかげでモノ捜しの時間が、やたら増えてきた。人生の黄昏も過ぎると、この「時間のムダ」には、いまいましいやらうんざりするやらで、心の内は穏やかではない。〝ムダなくトシをとる〟ことの何と難しいことか……。
 

4 件のコメント:

  1. 蕗の姑、成程ねえ。でも、いまどきの姑は、蕗ほどしゃんと上見て立っていないのでは?  いいえ、立てないのよう。

    お嫁さんの前では塩を振られた青菜同然。まあ、自分のことが自分でできてる間は何とでもなるけど・・いずれは出来なくなる。娘は嫁に行って、子育てに青息吐息。当てにならない。

    どうしてこんなことになったんでしょう。どうすればいい?、

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  2. mimiさん。今時の姑さんは、嫁をいじめたりしないし、いじめられたりもしないのとちがいますか?
    青菜に塩の姑さんになろうったって、mimiさんもなれないよ。きっと。(笑)

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  3. いつの間2やら「薹が立って」しまった私。前世は蕗だったのかしら。

    薹が立つに従って、物忘れの筋金はいよいよ強固になってきました。
    天然ボケも若い頃は「だから好き」なんて言ってくれる奇特なお人もちらほらおられましたが、この年になると傍迷惑以外の何ものでもない。
    あ~あ、と溜息をつきながら、身も心も緩みっぱなしの今日この頃です。
    因みに出来の悪い姑なので、嫁にとっては御しやすい良いオカアサンだと、自画自賛(誰も認めてくれないので)しています。

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    1. やっぱり人間関係って、『優しさ』が核にあると、何とかやっていけるんじゃないかしらねえ。
      少々ボケても体がいうこときかなくなつても……。
      お六さんに負けない天然ぼけの私、よい姑と自画自賛。はっはっは。

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