2012年3月7日水曜日

朝の散歩

春本番は目の前に来ているのだが、寒がりの私は、着膨れたままである。何しろ、前の日より10度も気温が上がったかと思うと、翌日は7度下がる、というような状態では、冷蔵庫に入れられたり出されたりで、身体がついていけない。

それでも日の出が早くなったので、朝の散歩を始めようかと思って身支度をした。ここのところ、運動不足で体重が今年になって2キロも増えている。チビの私が2キロも増えると、たちまち膝がぐずりだす。膝のご機嫌もとらねばならない。

車の疾走する道を避けて、30分ほど歩くのだが、気の向かない日は歩かないし、お天気が悪ければ止めるし、といった気ままなものなので、大きな顔をして語るほどのものではない。だが、朝外に出ると、ピリッと味の締った空気が、鼻先を刺激しながら、肺の奧まで入ってくるのが、何とも心地よいし、風景を眺めながら色々と思いを巡らせるのもいいものだ。
 
家を出て北に足を向けると、あの阿讃山脈が目に映る。阿波の国と、讃岐を分けている山なみである。中でも大麻山は、真向かいということもあるが、他の山々より威勢がよく、引き立っている。「おはようさん」と声を掛けるのも楽しい。

山は、ただ仰ぎ見るだけで、深い快さを味わえるのがいい。暗黙のうちに慰め合い、勇気を与え合う「無口な夫婦」のようなものかも知れない。
同じ大自然でも、海となると、底が見えないせいか、あるいは大津波のような暴れようをするためか、警戒心が絡まってきて、近寄りがたく、何となく他人じみてくる。

そこへいくと、同じ水であっても川は少し趣が違ってくる。
北に歩いて行き止るところに、旧吉野川がある。水音が聞き取れるような流れではない。
以前はよく、小船が八の字の波紋を従えて、川面を滑って行くこともあり、扇のように広がったうねりが、川岸までとどくと、いかにも品のよい水音を聞かせてくれたものだが、近頃は、あまりお目にかからない。

川べりより少し離れた野道を歩くと、手をすけたくなるほど実をつけた夏みかんが、朝日にまぶしく光っていたり、名も知らぬこごめのような花をつけた雑草が、私の足元を飾ってくれる風景があったりする。また、もうお役ずみのような伸びきった蕗の薹が、花の蕾を誇らしげに抱えていたりと、この季節はけっこう退屈がない。

空を見上げると、また気分は一段と爽快になる。一片の雲もないという朝もあったりする。こんな空は、かの有名な映画監督黒沢明氏に言わせると、「雲のない空なんて空じゃないよ。今日は撮影は止めだ」ということになるらしいが、なけりゃなしでいいじゃないの?いや、まてよ。やっぱり雲の浮いている方がいいかなあ・・・、などと首をひねる。ま、忙しげに流れる雲があれば、詩人じゃなくても、「おおい雲よ、どこまで行くんだ・・・」と語りかけてもみたくなるもの。ここは、黒澤氏に従うとしておこうか・・・。

さて今朝は、青空は隠れんぼうだ。東を向いても眩しくないのはいい。しっかりと小さな目も見開いてあちこちと眺められる。

でも、そのあと、いつもながら何とも言いようのない空き地に出くわす。ぽいすてゴミの山なのだ。ゴミは、指定の有料ゴミ袋に入れて出すことになったためか、不法投棄が増えたと聞いたことがある。
大昔かの有名なベスビオ噴火でポンペイと運命を共にしたある町から「公共の場所にゴミを棄てるな」と書かれた布石が出てきたというから、道徳心というものは、昔も今も、たいして進化もなく、変っていないらしい。

ま、あんなこんなで、いい気分ばかりではないのだが、無理のない程度に、しばらくは朝の散歩を続けていきたいと思っている。

2 件のコメント:

  1. 今、犬の散歩から帰ってホッと一息ついたところです。何しろ大型メタボ犬なので、私の体調の悪いときや雨の日を除いて、大方毎日1~1.5時間、引っ張られながら散歩します。
    (大型犬に引っ張られて歩く小型オバハンの姿をご想像下さい)疲れますが、時々、短歌のネタを拾います。

    *束の間の夢売るとてか「未來」とふ酒場ありたり冬の陽の中
    *将来と未來の違ひ思ひつつ犬引きて行く如月の道
    *桜木は根を指となししっかりと大地を掴む未來目指して
    *この海の果てに未來を見て立ちぬ藍色の波遙かに続き
    *青空を半円形に切りとりてトンネルの向かうに未來が覗く

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    1. おっ。これはこれは。お六さまの短歌が鑑賞できるとは・・・。
      「未来」という看板一つみて、こうした短歌を作るお六さん、やはりただ者にあらず。

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