2012年3月16日金曜日

落とし物

先日、ある店舗で衣類をみていたときのこと。
幼い子が、何かを拾ったらしい。母親が、
「拾われん。落ちとるもん、何でも拾うたらあかんのでよっ」
と、声を荒げていた。
すかさず子供が尋ねる。「お金が落ちてても?」

ふふふっ。どんなお答えがでてくるのかと、耳をすましていたが、生憎聞き取れなかった。多分小声で何か言ったのだろう。

昔、幼かった孫に、「もし道で百円拾ったとしたら、警察にもっていく?」と尋ねられたことがあった。

私は元教師、ということもあってか、ある一面では、正直者であるが、百円で警察には行かない。その金額によっては、頂戴してしまうこともあるだろう。
落としたことは何度かあるが、拾ったことはめったにないので、想像するだけなのだが、おそらく、千円札1枚拾っても、交番に届けに行くことは、まずしないだろう。
めんどうで行く気にはならないし、どうせ、何カ月か後には私のものになるにちがいないので、おまわりさんに手間ひまかけるだけのこと、という思いなのだ。
拾った場所が、マーケットなら、店員さんに訳を言って手渡すか、近くにある募金箱に入れてしまうだろう。道端なら、あたりを見回して、落とした人らしき方がいれば尋ねるし、いなければ、ポッケに入れる。

しかし、これが財布にはいった千円、となると、やはり届けなければ、と思う。マーケットや交番に財布を落としたと、届ける確率が高くなるからだ。
中身はどうでも、財布には、思い出がある、ということだってあるにちがいない。

もどって、私が孫に答えたのは、上記のようなことを説明したように思う。

そそっかしいのか、私はよく落し物をする。ポケットに入れてあった駐車券を落としてしまったとか、お土産に頂いたばかりのブローチをその場で襟につけたのに、家に帰ってみたら無かったとか、こんな類の落し物は、数えきれない。
駐在所に走り込んだことも2度ほどある。幸いにも、正直な方の手で戻ってきた。

未だに胸の痛む落し物があめる。女学生の頃、お向かいのお嫁さんが、小さな包みを持って私に届け物を頼みにきた。これを、同じクラスにいる、お里の姪であるK子さんに渡して欲しいとのこと。私は快く引き受けた。中身は何かその時は知らなかったが、それを自転車の荷台に括り付けて6キロ先の駅に行ったのはいいが、その包みをどこかで落としてしまったのだ。駅についてみると無い。

学校へ行くどころではない。青くなって引き返してみたが、あるはずない。母と一緒に慌てて謝罪に行くと、これまたお嫁さんも慌てて「いやいや、何でも無い」と、困っているふうだった。

中身は当時には珍しい羊の肉だったらしい。食糧難の時代なれば、犬だって包みを見つけたらだまってはおらぬはず、どこかに咥えて逃げ、独り占めして食べたやもしれない。お嫁さんの慌てた様子から、多分、家族に内緒で里の親たちにお裾分けしたかったのだろう。ほんとに悪いことをしてしまった。
ちょうどそのとき、我が家には、北海道から送ってくれた塩鮭の片身があったので、それを代わりに持参したのだが、私としては何年たっても忘れられない失敗である。





1 件のコメント:

  1. 拾われた話を二つ。
    ①学生時代定期入れ兼財布を落とし、交番に届けた。後日、連絡があり交番に出向くと、お巡りさん曰く、「あんたこれで汽車に乗っとったんで?」。見ると定期は一週間前に期限切れ、財布の中身は7円。それでも交番に届けた強心臓と期限切れに気づかず無賃乗車を続けていたオバカ振りにお巡りさんも呆れていました。
    ②ある日、自転車の前籠に封書を入れて郵便局に向かった。が、どこかで落としてしまった。困っていると℡あり。「拾ったので切手を貼って出しておきました」。女神様のようなお声はそう言うなり切れてしまった。以来、せめてもの恩返しに封書を拾ったら切手を貼って出してあげようと目を皿のようにしているが、紙切れ一つ拾わない。

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