2012年3月25日日曜日

汽車も好き

車大好き人間の私だが、汽車に乗るのも好きである。ただ、家から駅までが、ちょっと遠いので、滅多に汽車に乗ることがないのだが、たまには乗ってみる。窓を流れゆく風景は、いつ見てもいいもの。そんなとき、ひょっと珍しい方に出会ったりするから、また楽しい。

もうかなり前の話になるが、汽車で徳島に出かけたときのこと。
ぼんやりと窓の外をみていると、声をかけられた。
教え子だったYさんである。「先生、お変わりないですねえ。昔とちっとも変っていませんよ」と、愛想よくお世辞を言ってくれる。彼はとても優秀な生徒であったが、悪さも一人前にやっていたので、叱ることも多かった。でも明るいYさんは、そんなことも忘れたかのように、懐かしそうに、精一杯のお愛想も言ってくれる。彼の暖かい眼差しが、とても嬉しかった。

その日、帰りの汽車の中で、後ろから私の肩を叩く人がいる。顔をあげると、そこにはMさんの顔が笑っていた。「センセ、ぼくおぼえとるで?」と、人懐っこい目で私を探りながら私の前に座った。おぼえとるもないもんだ。私の手こずった悪がきの中では、王か金かという駒である。
「忘れるもんですか。よう悪さしたものね」と笑い合った。相変わらず細目で私の顔を見つめていると思ったら、「先生、トシとったなあ。はじめ、だれかと思ったわ」と言うてくれるではないか。

M君には、昔よく騙されたが、今日ばかりは本心を聞いたと、思わず噴出してしまった。「幾つになったん?」女性に向かっての、遠慮会釈のない質問だが正直に答えると、「そうかぁ。そんなになるんかい。うちのおかあはんといっしょやな。ほなセンセ若いわ」と、今度は手を返して褒めてくれる。

あれこれと、おしゃべりをして別かれたが、優等生のYと、正直なMと、同じ日の出来事だけに、可笑しさも増幅されてしまった。
でも、二人の気持ちは、共に私の胸を暖めてくれて嬉しかった。ことばの表現はちがっても、私を懐かしんでくれたことには変りない。あのときの情景は、時折り思い出しては頬を緩めている

色々なことのあった教師時代。いいことばかりではなかった。教師とは、苦労の多い仕事で、あまり楽しい仕事ではなかったと思うことがよくあるが、昔の日々が、色々な表情でよみがえってくると、胸のあたりが暖かくなってくる。

当時の教師は、今の教師よりも、ずっと幸せだったのではないかとも思える。教師という職に、一般サラリーマンとは違うという誇りが持てた時代だったし、子どもたちを、心から愛することが出来、そして真剣に叱ることも出来た。共に笑い、共に泣くことも出来た。それだけでも、教師をした甲斐があったと、今は思っている。




4 件のコメント:

  1. ごまめさん昔の先生でよかったですね。先生のおっしゃる事には親も子供も逆らわなかった時代。

    今の先生はかなり大変らしいですよ。娘が時々愚痴ってますけど、びっくりするような事を聞きます。まあ、今は何をしても大変な時代、今の現役でなくてよかったと、しばしば思います。

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    1. ほんとに。いい時代でした。今は、自分の子供だけしか目にはいらない親、特に母親がいて、先生を苦しめています。
      おかげで、心を病む先生が増えているようです。
      学校も、親の態度をもっと教育したらと思いますが、なんせ、むちゃくちゃ言うので、手がつけられないらしいですね。親はますます無理を言う。こまったものです。

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  2. 私も、昔の子供で良かったと思います。中学2年生で初めて学校へ行ったのですが、先生も友達も温かくホローしてくれました。今だったらいじめられて不登校になったり、ぐれたりしたのではないかと思います。

     高校も大学も汽車通学をしていました。行きも帰りも満員、すし詰めで外の景色を眺めるどころではありませんでした。わが家はバス停に近いので、最近は古女さんに会いに行くときくらいしか汽車に乗りません。いちど、ゆっくり汽車の旅をしてみたいです。

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    1. 何となく、生活が便利になるに比例して、人間の情緒が荒廃していくような感じがしますね。皆が皆じゃないのでしょうが、残念です。
      お六さんは、そういえば、小さいときは、虚弱児で、殆ど通学していなかったとお聞きしていしましたが、今なら大変だったかも・・・。
      けっこう田舎の小中学校でも、荒れていますもの。

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